市川重門
 天保2年(1831)9月7日下山村石坂市三郎の2男として生まれ、13年2月8日和田村市川又左衛門の養子となる。
 明治8年(1875)八代郡第16区副区長(区長巨摩郡35区長近藤喜則兼務)となり、村・郡・県との連携をとりながら民政に奔走した。
 明治10年県会議員区町村総代選挙法によって、公選議員として身延町初の県会議員となり、5月7日より甲府一蓮寺に開かれた第1回県会に出席する。9月第19区2等書記を命ぜられる。
 明治12年9月第1大学区44番中学区幹事を命ぜられ、13年大河内村学務委員・衛生委員を命ぜられる。
 明治14年4月大河内村戸長5等級に任命され、また招魂社世話掛を命ぜられる。
 明治7年学校建築等の功によって表彰される。
 明治維新直後の激動する諸制度改革の中にあって県政に参与し、また村政を担当して11ヵ村の合併、学校建設等村民を指導助言して村の基礎づくりにつとめる。