印刷甲州金

 甲州金は戦国時代の甲斐武田氏支配期にはすでに存在していた。以後、江戸時代に至るまで甲斐国に見られた「特別な金貨」である。

 当初は「碁石金」とも呼ばれた金の粒で、刻印もなく、むしろ貨幣というよりも軍用金や恩賞に使われた特別な価値を持った「もの」であった。目方は1匁(3.75g)~4、5匁と不揃いである。戦国期にあっては、いつ起きるか分からない戦いにも、運搬が容易で、どこでも通用し、かつ部下に対する恩賞としての絶大な効果があるとなれば、戦国武将が目の色を変えて金山の開発や争奪戦を繰り広げたとしても不思議でない。「甲陽軍鑑」には「・・・当座の褒美として、碁石金を信玄公の自身の両の手に御すくひなされ、三すくい彼河原村「伝兵衛」に下さるる」とある。


 のちに松木・志村・山下・野中の四金座が現れ、甲斐国一国に通用した「貨幣単位」が設けられ鍛造された。甲州金は日本で初めて制度化された貨幣として注目される。
 甲州金の貨幣制度は四進法でできており、金一両(4匁=15g)の4分の一が1分、1分の4分の1が1朱、1朱の2分の1が朱中、1朱の4分の1が糸目、糸目の2分の1が小糸目となっており、その後、江戸幕府の貨幣制度の参考ともなった。

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「奥山コレクション」について

 古甲州金から新甲州金まで体系的に網羅され、当館所蔵資料と合わせてご覧いただくことで、より歴史資料として高い評価を持ち、甲州金研究において多くの研究者に活用されています。この甲州金コレクションと、幕府の金貨合わせて全91点は、平成20年3月21日に、奥山源榮氏より身延町へ寄贈されたものです。

「奥山コレクション」寄贈に至る経過

 平成14年の開館5周年記念企画展「金貨~甲州金から幕府の金へ~」でこれらの貴重な資料を奥山氏よりお借りしました。この企画展によって培われてきたお互いの信頼関係から、氏が「家に置いておくより、多くの方に見ていただき研究していただけるならその方が良い」と、そのまま当館へ寄託され、以来、常設展示室にて“奥山源榮家所蔵金貨”として多くのお客様にご覧いただいています。

常設展での展示公開 

 奥山源榮氏は人情味厚く、誠心誠意ご対応くださる真摯なお人柄でした。「金貨の歴史的な資料としての価値が生涯教育に役立つものなら、是非そうして頂きたい」という純粋な思いを、終始心に持ち続けておられ、「金が採れた故郷へ金貨を帰してあげたい」という萬亀子夫人、そして「おじいちゃんがそう思うならそうしてください」というご家族全員のご理解により、ご寄贈いただきました。これら甲州金全点を当館常設展示で保存しつつ、公開に努めております。

奥山氏への感謝状贈呈式の様子(平成20年3月) 

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