町誌発刊にあたって
身延町長 佐 野 為 雄
有人宇宙船アポロ11号が昨年7月21日月に着陸し、月面に人間がはじめて降り立って、人類は新しい世界を開こうとしている。
戦後25年、わが国は敗戦の廃墟混迷の中から、平和憲法の下経済立国を国是として立ち上り、その発展は驚異に値するものがある。
人間の英知と科学は、頭脳にかわる電子計算機を創造し、生産を自動化して、わが国の産業界に、設備の拡大と技術の革新を促進し、その生産性を伸ばして、高度の経済成長を遂げ、社会構造をかえて、われわれの生活環境は年ごとに著しく変ぼうしてゆく。
過去があり、現在から未来へと人間が生命を保ちながら、中断することなく生活をつづける営みの中に、歴史はつくられて来、またつくられてゆくのである。
わが町身延が今日人口一万二千余を有して、県南の教育文化・行政・観光の町となるまでの歴史は長い。
本町は中世、下山氏、南部氏(波木井実長公)、帯金氏が地方豪族として分拠して開拓し、武田氏が甲斐一円を掌握した時代は、武田氏の親族穴山氏が下山に居館して、河内経営の府となり繁栄した。
武田氏滅亡後は主として徳川幕府の天領となって、市川代官の支配を受け、明治維新の諸政改革によって、村々が合併して、大河内、下山、身延、豊岡の各村が誕生し、昭和30年1町3ヵ村が大同団結して現身延町が発足している。
また、身延町といえば「身延山のある町」で理解される信仰の町である。
日蓮聖人の「波木井殿の御育みにて9箇年の間身延山にして心安く法華経を読誦し奉り候ひつる志はいつの世にかは、思ひ忘るべき」また「たとひいづくに死に候とも、墓をば身延の山に建てさせ給へ」と御遺文されてから、法灯を護りつづけて86世、700年の伝統を持つ身延山久遠寺は、真に町の象徴である。
こうした有名無名のわれわれの父祖が幸うすい自然と戦いながら、幾多の災害を克服して、相寄り相扶けて開拓した歩みは、日本民族の歴史とともに、あの山腹に、この川のほとりに集落をなし、社を建て、寺をつくって、それぞれの苦しみ楽しみの中に、祈りをこめたたゆまぬ努力と生成発展の過去があり、心のふるさとがある。
身延町が発足してここに15年、先輩のあとをうけ、町政を担当して7年、変動してゆく社会にあって、明るい豊かな町づくりを希求する数々の施策の中で、町誌編さんを企画した所以はわが町身延がいかにして今日に至ったかを知ることは将来の町の繁栄に連なることを思い、時代とともに伸長して来た過程の中に明日への町の行くべき道があると信ずるからである。
永遠につづく町の歴史のひとこまにすぎなくともこの町誌が将来の町民への灯となることを願い、これが心の糧となれば幸である。
なお、本町誌発刊にあたり終始直接作業に当たられた編集委員各位、ご指導、ご協力をいただいた方々、さらに資料を提供してくださった町民各位に心からなる感謝の意を表して発刊のことばとする。
昭和45年2月11日
  
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