序文

                 山梨県知事 田 辺 国 男

 身延の町は、この山梨県のひとつの町というだけではなく、すでに遠いむかしから、日本の身延として知られています。
 もちろん日蓮聖人の霊跡としてでありますが、この町の人びとは、長い間それをほこりとし、これを心の寄りどころとして郷土愛の精神をつちかってきました。
 昭和30年、下山村、身延町、豊岡村、大河内村が合併してさらに大きく、飛躍した新しい身延町はいよいよ発展の一途をたどり、こんにち県下でも屈指の自治体に数えられ、同時に日本の身延としての名声も一層たかめております。このたび町当局では、10周年記念事業の一つとしてその力強い歩みを記録して、ここに町誌を発行したのでありますが、全17編50数章にわたる町誌は、身延町の生誕にはじまり生成発展の歩みをつぶさに記載された、貴重な社会史的要素を整えているものでありまして、本県の歴史を探る上においても、まことに重要な資料となるものであるとともに日本民俗史における門前町の研究にも大きな貢献をなしたことと思います。
 新しい時代における、新しい住民意識はとかく郷土の成り立ちを無視して、刹那的現象だけに狂奔している傾向が多く見られますが、このようなときにおいて住民すべてに「郷土」への関心を高め「わが町」への郷愁を深める機会を与えたことは、まことに意義あるものと考えます。
 身延は古いむかし「蓑夫」と書いたということがこの中にもあります。
 それは富士川の急流が、このあたりにくると川瀬を整えて、ちょうど蓑を着た男がそこにうずくまっているように見える。というところから「みのぶ」という地名が生まれたのだそうですが、このような素ぼくな昔がたりが、人びとの心から心に伝わって行ってこそ郷土を見直し、郷土をふりかえる心がつちかわれるのだと思います。
 編さんの目的にもありますように「愛する身延町がたくましく前進することの願いをこめ、さらに将来この地域に住むであろうところの人びとの心のふるさととして」この町誌が身延の町の大きな発展の基礎となることを心からお祈りいたします。
 おわりに本誌編さんにあたって多年にわたり資料を収集、調査研究などあらゆる面において精魂をかたむけられた関係者の方々に深い感謝をささげる次第であります。
    昭和45年2月11日