第一編 総説

第一章 地理的身延町の成り立ち

 身延町は河内地方のほぼ中央に位して、明治7年(1874)大河内村が誕生したのをはじめ、8年福居村、身延村、豊岡村がつづいて生まれ、昭和30年2月11日、1町3ヵ村が合併して発足した町である。
 身延町の地理的環境は、東は御坂山脈の支脈毛無山系の陵線をもって、南部町に接して富士山に対し、西は南アルプス山系につづく早川町に、北は合流して富士川を三大急流の一とする早川を隔てて中富町および温泉郷の下部町に、南は南部町と安倍峠を境として静岡市の梅ヶ島に接している。
 町のほぼ中央を富士川が北より貫流し、川東を国鉄身延線、川西を国道52号線が併走する。東経138度20分より31分、北緯35度17分より26分に跨(またが)って面積は131.12平方キロメートル、県下第12位に当る広さの町である。
 次に、標高より眺めると、最低地は南部町との境界線上にあたる富士川河川敷の144.7メートルより本町の飛地の七面山の最高1,989メートル、五宗山1,634メートルの間にあって、500メートル以上が町面積の54パーセント、154メートルから200メートルの間の面積が6パーセントに当たり、この間の土地は未開拓地、あるいは河川敷である。
 集落や耕地はすべて150メートルから500メートル位までの層にあり、富士川とその支流の傾斜地を占めて山林につらなり、宅地、公用地を除いた耕地は、5.4平方キロメートル、町面積の4.13パーセント、山林原野は117平方キロメートル、総面積の実に84.5パーセントを占めている。
 また、身延町は県南部にあって、富士川の遡(そ)上気流、西部山岳添いを北上する気流によって、暖帯北部、温帯南部に当たり、本県としては、温暖多雨地に属して年平均温度14.3度、降雨量平均1,878ミリメートルであり、南部町と比較しても僅差の海岸的気候を帯びて、累年統計は、温暖化の傾向を示している。
 県内では高温多雨の地域であるため、植物の生育も極めてよく、5−600メートル以下の低地には暖帯林が見られ、南国的な南天の自生を随所にみることは、歌にもうたわれているように、暖帯から温帯への移行地とも考えられる。なお、垂直的には標高5−600メートル(身延山の中腹)が暖帯、温帯の境をなし、暖帯植物のカシ・シイ・タブノキ等の常緑広葉樹が生育している。
 タブノキほか2、3の樹種は本町を北限とするものもあり、波木井神の平のタブノキ、下山一宮のヒサカキの一群、椿草里のシキミの一群など注目してよいものであり、また、イチョウの名木がある。
 本町に生息する動物は文化の発達につれて、土地の開発・水路の整備・道路の近代化・農薬の普及等の影響によって、年々その姿を減じてゆくことはさびしい限りである。カワセミ・カケス・ヒヨドリ・アカショウビン・キビタキなどの鳴き声、さえずりなど少なくなり、キジの鳴き声など里では聞くこともなく、人為的にその繁殖を保護している。しかし、甲府盆地以南には見かけなかったムクドリ・オナガが姿を見せはじめている。
 魚類についても人工的に放流される時代となって、ドジョウ・タニシなど思い出のものになりそうである。
 珍しい動物としては、ブッポウソウが身延山を繁殖地とし飛来することは日本でも有名であり、ハクビシン・サンショオウオ・モリアオガエル等がある。