第三節 婚姻圏について

 人口の動態にみられるように、最近の青年層の多くは、他に職を求めて都会地へと流出し、あるいは出稼ぎする者も多く、日常の生活範囲も急激に広まっている現在である。その結果は婚姻圏にもその傾向がはっきりみられる。婚姻圏調査の表1を図表化した図1によりその状態がわかる。明治5年(1872)の戸籍から、1,449人の既婚者についてその実家を調べた結果は、図1に示すように、町内四地区ともほとんど、かつての自村内での結婚がほぼ30パーセントを示し、現在の身延町内としてみれば、約67パーセントが町内の縁組みであった。現在合併した4地区は明治時代の婚姻の面からも密接な結びつきが見られる。更に現在の戸籍から見た婚姻関係は、図2に示す如く、最近の結婚者4,242人について調査した結果は、身延町内が約40パーセントを占め、ついで県外が約30パーセント、その他県内および南部町から約20パーセント、他の10パーセントが隣接町村からの合計となっている。
 また、最近の嫁、あるいは婿入りの婚姻先を見ると、約70パーセントが県外である。残り半数が町内で、次にその他県内が10パーセント、隣接町村は図に見られるように、全体で10パーセントにみたない状態である。このように県外への婚姻先が大部分であるということは前述のように生活圏が著しく広まってきたことを物語るものである。

  表1  婚姻圏調査 (一)
 
町内
(地区内)
中富町
早川町
下部町
南部町
富沢町
鰍沢町
六郷町
増穂町
その他
県 内
県外


下山
実数
129
(83)
52
28
11
2
0
2
9
0
8
1
242
身延
実数
312
(126)
17
16
8
18
7
6
2
4
7
5
402
豊岡
実数
216
(76)
13
9
4
63
2
2
0
1
2
6
318
大河内
実数
325
(112)
19
3
71
43
5
2
7
0
3
9
487
身延町
実数
982
(397)
101
56
94
126
14
12
18
5
10
21
1,449
指数
67.8
(27.4)
7.0
3.9
6.5
8.7
1.0
0.8
1.2
0.3
1.4
1.4
100.0
                             (明治5年の戸籍からの統計)

      婚姻圏調査 (二)
 
町内
中富町
早川町
下部町
南部町
富沢町
鰍沢町
六郷町
増穂町
その他
県 内
県外


下山
実数
219
75
73
32
11
9
6
3
7
112
180
727
身延
実数
531
38
39
45
97
27
15
13
27
174
423
1,429
豊岡
実数
310
13
21
18
115
36
3
0
3
39
170
728
大河内
実数
536
35
39
96
105
26
8
19
9
107
380
1,360
身延町
実数
1,596
161
172
191
328
98
32
35
46
432
1,153
4,244
指数
37.2
3.8
4.1
4.5
7.7
2.3
0.7
0.8
1.1
10.2
27.6
100.0
 


下山
実数
139
16
2
4
3
3
2
2
2
40
210
323
身延
実数
107
4
3
6
17
2
2
3
3
65
369
581
豊岡
実数
36
2
2
3
22
11
3
2
0
14
238
333
大河内
実数
86
9
3
13
18
8
0
3
2
45
427
614
身延町
実数
268
31
10
26
60
24
7
10
7
164
1,244
1,851
指数
14.5
1.7
0.5
1.4
3.2
1.3
0.4
0.5
0.4
8.9
67.2
100.0
                             (明治40年の戸籍からの統計)