第八節 区制とその活動明治22年(1889)町村制施行と共に、その第六十四条に基づき各大字ごとに行政区が設けられ、村役場の補助機関として各区に区長および区長代理がおかれるようになった。区長は、区民の中から選ばれたが、形としては町村長が議会の選挙又は議決を経て任命するということになっており、昭和22年、敗戦によるマッカーサー政令で廃止されるまで続いた。 区長は町村長の指揮指令を受けてその事務を執行するとともに、部落独自の事務や仕事をも行なった。 主な事業としては区内の平和を保ち、共同生活の規律を保持し、区有財産および営造物の管理、里道や農用水路の維持・補修管理・そのための課役(義務人足)や用水費・区費の賦課徴収・衛生・消防施設・夜警その他村役場で行なう以外の種々雑多な仕事を行なっており、時には区民の要望を町村役場に陳情、具申する役割も果たしたのである。 各区長の下には組長がおかれ、各組長は組内の事業を行なうとともに、区長の伝達事務にあたった。 当時の事情をもの語る記録が大河内村会議事録にくわしいので挙げてみたい。 明治22年8月31日の大河内村会で村内に六区をおき、区長及び区長代理者各1名を置くことが議決され、投票で初代の区長および代理者の選挙が行なわれた。
大河内村区長規定
大河内村伍組規則
説明書
我国伍組の制を考えるに往古兵農未分の時有事の日兵を徴するに方り伍となし伍長を置くに淵源し中古唐制を模倣するに及んで隣保の泰制を参酌して五保の条規を定め民戸五家を連ね互に相助け相戒め法令を遵守せしめ同保を以て一家の如き関係を有せしめ村治の機関に供したるや歴史の明に示す処なり徳川氏治世中五人組の法を定められたるも亦此の遺法を襲用せるに外ならず 降って維新以来行政区画の廃置分合あるに係らず本県は猶旧慣を裁酌して各町村に伍組を設け各伍に伍長を置き之を惣括せしめ村務の敏捷を致せり、今や我村は自治体の代議行政両機関に於ける正係吏員の外委員区長及代理者等ノ設定ありて村務の簡便を得るに於て遺図なきものの如しと雖も本村は区域広汎にして碁布散在せる数十部落の統一より成立するが故に一朝伍長の制を廃するに於ては積年因襲の旧慣に悖り村制の周到を闕き不便を感ずる者あらんとす 上来の理由に依り既往現在の慣例を以て遠く将来を照すに本村は特別の組織を加へ伍組の制を置くを必要なりとす 故に本規則を設け旧例に鑑み制法に酌み各区伍組を置き区長及代理者に属して其の補助に当らしめんとす 蓋し隣保団結の旧慣を存重し自治の幸福を増進するに於て其の効の見るべきものあらんとす 昭和15年(1940)9月、内務省は国家総動員体制による戦争態勢を固めるため、「部落会、町内会、隣保班、市町村常会の設置についての訓令」を発した。 隣組は江戸時代の五人組、十人組制度に範をとり、10戸内外を単位として組織され、組長によって開かれる常会をもち、回覧をまわして上意下達の国民統制を徹底させるために用いられ、大政翼賛会の指導下に組みこまれた。昭和17年(1942)にはその役割は戦時動員・徴税・貯蓄・公債消化・供出・配給などの国策の伝達や促進、軍人遺家族援護・防犯防火などの互助、自警、防諜(ちよう)という相互監視などであった。 この制度により従来の区長は部落会長、組長が隣保班長とされ、部落会長をもって村常会を置いた。県常会−村常会−部落常会−隣保常会と徹底した上意下達がはかられ、「総力戦」に奉仕させられた。 昭和22年軍国主義解体の目的で部落会、隣保組廃止の政令が出され、全国一斉に禁止されたが、役場は手足をもがれては不便を感ずるため、どの町村においても「連絡員」のような名称に改めただけで実質的には以前と変らぬ状態だった。部落では「区長さん」は昔ながらの変らぬ存在だったわけである。 昭和26年の講和条約発効で政令が失効すると、町村は公然と区長制度を復活する。本町においても合併時の30年には区長設置条例を制定して区長は町長の委嘱により町と部落の連絡事務に当たるものとされた。 区は当初50区だったが、昭和42年に和田区と樋之上区が合併したので現在は下の49区である。 旧下山村地区は12区 波木井、梅平には区会長がおかれ、連合区会の運営にあたっている。 梅平区会制
梅平区は、身延町梅平の地域をもってその区域とし、輝かしい歴史と伝統を受け継ぎ、郷土を愛する精神に基づき、和をもって美しい風習を育て、よりよき地域社会とより豊かな生活を築きあげるため「梅平区会」を設置し、各区の自主性を尊重しつつ、区の活動の総合調整、共有する財産及び公の管理並びに共同事項の処理を行ない、もって、梅平地区の一体性の確保と明るい豊かな郷土の円満な発展をはかるため、ここに梅平区会制を定める。
形は町村制当時とほとんど変らないとはいえ自治行政の民主化に歩調を合わせて、区の在り方も戦後はかなり変って来た点が多い。 慣例や習慣による運営を脱皮して、区の規則や予算、決算、事業計画、各専門役員(会計・衛生・放送係等)を設け、小自治団体としての整然とした民主的運営を行ない、地域住民の声を統一して町政に反映させている例も少なくない。 区の役割が町役場の末端機関という性格と、部落民の自治団体という両面の性格を持つものとすれば、戦後の特徴として、町村行政の多様化・複雑化に伴い前者の仕事も急速にふえると同時に、住民の意識を反映して、後者の性格と活動も著しく強まり、向上したということがいえる。 次に大正9年の豊岡村区長および区長代理者設置規程を掲げる。各村とも大同小異である。 豊岡村区長及区長代理者設置規程
区長及区長代理者設置規程
|