七、町出身の各種議員

 本町に本籍を有したことのある各種議員は次のとおりである。
(一)衆議院議員
当選年度 氏名 町村名
明治35年 望月小太郎 身延村
明治36年 望月小太郎 身延村
明治37年 望月小太郎 身延村
大正4年 望月小太郎 身延村
大正6年 望月小太郎 身延村
大正9年 望月小太郎 身延村
大正13年 望月小太郎 身延村
昭和24年 深沢義守 身延町
昭和30年 平田ヒデ 本籍大河内
在東京
昭和41年 依田奎吾 旧大河内
在東京
    
(二)県会と本町出身の県会議員
 明治9年11月7日甲第340号をもって県会条例ならびに規則を制定、各区々長並びに各区総代人中より互選したものを半数ずつ、計68名をもって第1回の県会を開くこととし、翌10年1月31日選挙を行なった。
 第1回県会は2月20日より15日間ひらかれ次のような議題で初の議事が行なわれた。議長は県令藤村紫朗自らこれに当たった。
第1、各町村副戸長定員のこと
第2、正副戸長並区書記、勧業係、土木掛伍長給料のこと
第3、民費集散方法のこと
第4、凶荒予備方法のこと
第5、師範学校維持方法のこと
 この第1回県会には大河内村和田の市川重門(19区副区長)が公選議員として出席している。
 明治12年4月には府県会規則(明治11年公布)による全員公選の県会が開かれた。定員は30名で、西八代、南巨摩各3名であった。この議会より議長は議員中から選挙されることになり、初代議長は南巨摩郡睦合村選出の近藤喜則が就任した。
 以後明治24年の府県制、昭和22年の地方自治法にもとづく県会、県議会の歴史をつづることになるが、本町出身の議員は次の通りである。
任期  
明治10年 市川重門(大河内)
明治24年 〜 26年 望月潔(下山)
大正8年 〜 12年 藤田文太郎(身延)
昭和22年 〜 26年 米沢良知(大河内)
昭和26年 〜 30年 佐野肇(身延町)
昭和30年 〜 34年 佐野肇(身延町)
昭和34年 〜 38年 佐野肇(身延町)
昭和38年 〜 42年 佐野肇(身延町)
(三)郡会と本町出身の郡会議員
 明治23年5月法律第30号をもって郡制が公布され、24年9月30日を期して第1回の郡会議員選挙が執行された。郡会議員は当初郡内の各町村より選挙した議員および郡内の大地主の中から選挙された議員をもって構成され、西八代郡20名、南巨摩郡27名を定員としていた。任期は6年で3年毎の半数改選であったが、明治32年に法改正により町村より選挙された議員のみによって郡会を組織し、任期も4年とすることに改められた。半数改選制もこの時に廃され、以後大正12年の郡制廃止まで4年ごとに改選がおこなわれる。また従来の複式選挙もこの改正以降管内の公民による直接選挙制となった。
 「大正山梨県誌」によれば
 明治二十三年郡制を公布してその立法機関たる郡会の議決すべき事項を規定せられしが、特別の事情なき地方に於いてはその権限頗る狭少に過ぎ、従って其の権力も又自ら微弱であった。一ケ年の歳計僅かに弐万円を越えず、郡にあっては殆ど僻地一村の経済にも及ばなかった。
然るに堂々たる一郡の選良、堂々一堂に集りて慎重審議を尽せしは恰も牛刀を用いて鶏を割くが如き光景であった。然れどもその地位は一郡の上流に位し其の勢力は一郡の中堅をなせしゆえ、其の栄冠は男子の装身具としてすこぶる上乗のものであった。
故に衆人皆此の栄位に憧憬して此の栄冠を戴くため多大の犠牲を払うことを吝まなかった。(中略)
 郡制布かれて三十五年、其の長久なりし郡会史中より役員争奪戦の一節を除去すれば其の剰す処すこぶる寂寞を極め、恰かも蝋を噛む如く甚だ乾燥無味であった。然るに大正十二年、断乎之を廃止して日本自治制史よりこの一項を削除せられしため這箇(しゃこ)絶好の装身具も遂に全く其の形体を失なって了った。
とかなり痛烈な批評が与えられている。
本町出身の郡会議員で記録に残っているものは下の通りである。
選出年 満了年 西八代郡
会議員
備考 南巨摩郡
会議員
備考
明治24年
(第1回)
明治30年 一般 伊藤誡三 大河内 一般   下山
      身延
      豊岡
地主     地主    
明治27年
(半数改選)
明治30年 一般 伊藤誠三 大河内 一般   下山
      身延
    鴨狩孝治 豊岡
地主     地主    
明治30年
(半数改選)
明治33年 一般 松野弥三郎 大河内 一般   下山
      身延
      豊岡
地主     地主    
明治32年以後
(総改選)
明治36年 米沢逸信
望月伝市
大河内
大河内
望月亀次郎 下山
藤田喜内 身延
  豊岡
明治36年 明治40年 片田貞治
望月源治
大河内
大河内
芹沢九左衛門 下山
古谷善太郎 身延
  豊岡
明治40年 明治44年 望月安則 大河内 石川伴作 下山
藤田佐一郎 身延
  豊岡
   
明治44年 大正4年 望月吾三郎 大河内 望月退蔵 下山
藤田文太郎 身延
松田正作 豊岡
   
大正4年 大正8年 伊藤繁太郎 大河内 稲葉関太郎 下山
藤田文太郎 身延(議長)
小山喜乃 豊岡(大正六年退任)
松木泰作 豊岡(同年補欠当選)
大正8年 大正12年 望月富斉 大河内 佐野寛 下山
望月善長 身延
遠藤源十郎 身延
松木泰作 豊岡(大正十一年繰上当選)
大正12年
郡制廃止