明治7年5月 |
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大島学校が設立され、上大島東勝寺(廃寺)に開設小笠原茂が最初の教員であった。 |
明治7年10月 |
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和田学校が設立された。 |
明治17年10月 |
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大島学校に和田学校を合併し大和学校と称した。 |
明治25年3月 |
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小学校令改正により大河内尋常小学校の本校を本村帯金区に設け大和小学校はその分教場となった。 |
明治25年4月 |
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和田樋之上区内に和田分教場を設立した。 |
明治27年2月 |
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和田分教場を新築し上棟並びに開校の式を挙げた。 |
明治35年1月 |
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従来の大河内尋常小学校外5分教場を廃止し本村を南北に分かち丸滝以北を1学区とし、帯金区に帯金尋常小学校を設立し角打以南を1学区とし和田区に大和尋常小学校を設立した。 |
明治35年2月 |
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元和田分教場を仮校舎とし授業を始めた。 |
明治37年9月 |
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さきに指定された大島字的場に大和小学校を新築し仮校舎より移転した。 |
明治37年9月 |
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高等小学校2ヵ年の課程並置が許可された。 |
明治37年10月 |
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尋常科へ裁縫科加設が許可された。 |
明治38年7月 |
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尋常科へ唱歌科加設が許可された。 |
明治38年11月 |
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本校へ農業補習学校が付設された。角打区へ分教場を設置した。 |
明治39年5月 |
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高等科3・4学年設置が許可された。 |
明治45年5月 |
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増築校舎の落成式が挙行された。 |
大正14年10月 |
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奉安所並びに増築校舎落成式が挙行された。 |
昭和5年5月 |
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学校用水工事が完工した。 |
昭和7年5月 |
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校舎付属の物置を増築した。 |
昭和8年6月 |
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校地側の石垣積み上げ工事が完工した。 |
昭和9年9月 |
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便所改築落成式を挙行した。 |
昭和9年9月 |
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大暴風雨にあい校舎に大被害があった。 |
昭和10年1月 |
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校舎改築のため和田屋、妙泉寺、滝川晶宅、上大島神明社、下大島感応寺等を仮校舎にした。 |
昭和10年12月 |
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新校舎竣工落成式を挙行した。 |
昭和14年3月 |
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児童数の増加に伴い職員室を新築移転した。 |
昭和16年4月 |
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国民学校令が施行され大和国民学校と改称した。 |
昭和22年4月 |
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教育制度改正により大河内村立大和小学校と改称した。大河内中学校が3教室を仮用する。 |
昭和22年7月 |
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大和小学校PTAが発足した。 |
昭和24年4月 |
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交通安全自治会が結成された。 |
昭和25年9月 |
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非常用貯水池が完成した。 |
昭和27年10月 |
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飲用水工事をした。 |
昭和28年7月 |
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電話が開通した。 |
昭和29年2月 |
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放送教育公開授業を実施した。 |
昭和29年7月 |
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宿直室が新築された。 |
昭和29年12月 |
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放送教育公開研究会をおこなった。 |
昭和30年2月 |
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身延町外三ヵ村が合併して身延町となり町立大和小学校となった。 |
昭和30年3月 |
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校庭西側鉄柵が完成した。 |
昭和32年4月 |
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毎月10日を学校貯金日とした。 |
昭和32年5月 |
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学校周囲の鉄柵工事が完成した。 |
昭和33年8月 |
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新水道工事が完成した。 |
昭和36年2月 |
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給食を開始した。 |
昭和37年8月 |
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貯水池兼プールが完成した。 |
昭和37年9月 |
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学級園が完成した。 |
昭和37年10月 |
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防球網と物置が完成した。 |
昭和40年8月 |
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保健室が完成した。バトンガールが誕生した。 |
昭和40年10月 |
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校歌が制定された。(作詞佐野四郎、作曲坂口五郎) |
昭和41年9月 |
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台風26号により裏山崩壊し給食室が大破した。 |
昭和42年1月 |
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PTAの協力により親子テレビを購入し、各教室で教育番組視聴のカリキュラムが作成された。 |
昭和44年3月 |
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テレビカリキュラムによって公開授業を行なった。 |