三、トンネルの開通

 町内に大野トンネル、洗心洞、国道に下山トンネル、榧(かや)の木トンネル、の四つがある。
 大野トンネルは身延橋が開通する前年の大正11年(1922)11月20日に開通したものである。
 それまでは富士川に突出した柏坂を迂回して、通称「カマ」と呼ばれる難所をどうしても通らなければならなかった。
 大正10年4月22日、神奈川県の参詣客の乗った馬車がここから富士川へ転落し、一行6名が重軽傷を負うという惨事が起きるなど通行人におそれられていた。
 身延村村長田中久治郎は、大正10年1月9日、本山をはじめ各寺院、富士身延鉄道株式会社および、村民代表とトンネル開さくについて協議し、梅平道路改良費も含めて事業費6万円をもってこの年の3月に着工し翌年大正11年11月20日開通した。この大野トンネルの開通は、かつての難所を除いたばかりでなく、翌大正12年8月18日の身延橋架橋とともに、本町発展に大きな役割をはたすこととなったのである。
 なお、この大野トンネルの開さく費として本山より1万円が補助されたと記録されている。また大野トンネル開さく事業に付随して梅平道路も改良され大正15年(1926)9月に竣工している。
 下山トンネルは、大正12年12月竣工、延長234.1メートル、幅4メートル、コンクリート覆工であり、開通時には大変便利なものであったが県道が国道となり昭和43年国道の大改修工事が行なわれるとともに廃止の運命となった。
 榧ノ木トンネルは、昭和6年6月着工、昭和7年竣工、延長205メートル・幅4メートル・コンクリート覆工、榧ノ木峠の中腹にあるので富士川・南部町・白鳥山などが見わたせる眺望のよい位置にあるが、国道52号線の改修工事に伴い、このトンネルも、近い将来に廃道となる運命にある。
 洗心洞は、町道三門奥之院線の途中の西谷にあり、延長は35メートル幅員は4メートルである。