第二節 苗字と家紋

一、苗字使用の沿革と現況

 身分制度のきびしかった封建社会では、その身分や職分をあらわすために一般には苗字は許されなかった。古くは服部、陶器部などの姓や藤原氏がその居住地の国名をつけて加藤、近藤、伊藤を名のり、また斉藤、佐藤、武藤などは職分からとったものといわれている。
 中世のころから多くはその字名を名のっているものが多い。たとえば南松院大般若経巻111巻には「此経全部大檀那甲州河内下山居住本名武田在名穴山伊豆守信友」と武田を本名としている。なお加賀美遠光の子の光行が南部に住して、南部の地名を姓とし、更にその子が波木井に住して、波木井実長を名のっていることがその例である。
 天文9年(1540)下山天輪寺の検地帳に記されている耕作者は有姓8名、無姓4名、寺1名である。
 徳川時代になって身分制度がさらにきびしくなり、百姓、町人は苗字の使用を禁じられていた。それが幕政の崩壊期になると、相応の金高を幕府に献ずることによって、苗字、帯刀を許されるという恩賞の制度があった。本町内では、下山の穂坂家にその例をみることができる。
申渡
甲州巨摩郡下山村長百姓、
穂坂喜代平
其方儀海岸御備筋御用途之内
江上納金致候ニ付孫代迄苗字
悴代迄
帯刀
御免被仰付候旨久(世)大和
守殿御差図の趣土岐摂津守被
申渡候ニ付申渡之
安政五年五月
 明治3年(1870)庚午(こうご)戸籍にはまだ苗字の記載がない。明治3年9月19日に平民に苗字を用うることが許可され、「平民苗字の儀無謂郷名相用申間敷旨庚午年中相達置候処詮議の次第有之取消候条以来郷名相用不苦事、山梨県庁」の達しが出されて、はじめて、明治初年に編成された戸籍の苗字となって現れている。

二、本町の苗字

 明治初年の本町の戸籍から、苗字とその戸数および現在の戸数を調べてみると次のようである。

旧粟倉村(小原島)
苗字 戸数
明治初
年戸数
現在の
戸数
秋山   1
青島   1
遠藤 10 10
大森   2
笠井   1
川口 10 13
木内   1
佐野 5 5
深沢 4 5
福島   1
古屋   1
松永 1 3
町田   1
望月 19 17
山岸   1
依田   1
渡辺 1 2
若月 1  

旧下山村(明治初年のものは資料不足のため約半数)
苗字 戸数
明治初
年戸数
現在の
戸数
芦沢   3
秋山 1  
雨宮   2
網野   2
有泉   4
天野   1
石川 10 18
石野 1 11
井上 9 9
稲葉 4 4
飯田   1
市川   2
石原   2
石坂   1
市原   1
磯部   2
伊藤   1
一之瀬   1
岩尾   1
牛奥 3 1
上田   1
宇佐美   1
上平   1
遠藤 14 36
岡村 1  
大塚 6 5
大原   1
小山田   1
小野   3
小沢   2
大野   3
大能   2
亀山   1
川口   1
川窪 7 4
加藤 1 5
神岡 1  
川村   1
河西   3
川崎   1
京島   1
木川   1
木俣   1
功刀   1
窪田   1
熊王   1
近藤 6 11
小林   6
佐野 16 42
佐藤   2
斉藤   4
沢登   1
笹川   1
酒谷   1
桜田   1
榊原   1
佐塚   1
四条   1
島崎   1
杉田 2 4
鈴木   2
瀬戸   1
関根   1
竹下 1 3
谷川   1
高氏   1
高野   1
滝沢   2
田中   1
高橋   3
千須和   1
土屋   1
土橋   6
利川   1
中川 1  
中村 3 3
内藤 2 5
長沢   1
中野   1
中尾   1
成田   1
中西   1
西村   1
野村   1
服部 7 9
早川   2
幡野   2
羽賀   1
原沢   1
樋川   2
広島   4
平山   1
広江   1
深沢 18 26
古屋   2
藤島   1
古川   1
伯耆 5 5
穂坂   1
星野   1
本田   1
堀住   1
堀内   2
松永 1 1
松木 3 22
松村 4 4
松浦   1
円崎   1
向井   1
村松   2
望月 32 67
山内 5 5
山岸   1
山下   2
矢川   2
山本   1
矢野   1
山田   2
山梨   1
依田   2
吉中   1
吉田   1
吉村   1
渡辺 7 14
若林 5 5
若尾   2