三、大城湯平部落の発達

 戦国末期から近世初頭にかけての大名領国制の形式の中で、重要な経済現象として鉱山の開発と金銀の通用とがある。大規模で恒常化した軍事行動物資の調達と運輸、武器の購入と蓄積、城館の構築と土木工事などのためには、大名領国の封鎖的経済のほかに、全国的隔地間の商品流通のなかに入り込まねばならなかった。さらに16世紀中頃以降の外国貿易の進展は、戦国大名をして国際通貨としての金銀や硬貨の獲得に全力を傾注させるに至った。一般的には、場当り的で大きな見通しもなかったが、有力大名はこれ等の時代の変還の見通しの上に立って、貨幣の鋳造や商工業の振興をはかって功を収めた、このような貨幣経済の発達による硬貨の鋳造や或は外国貿易による新兵器火器購入のため、金銀山に対する執念は絶大なるものであったろうことは想像にかたくない。産業は武将資源開発の熱意により、新鉱山の開発、既存鉱山の大量採掘等大いに盛になった。このような国経営上欠くことのできない金銀は、その採掘を製錬についてはあらゆる力を注いでいたものであろう。当時日本における貴金属山の開発は、戦国大名の資源開発の熱心な施策下におこなわれた。金銀は軍用金として又恩賞物として、しだいに高い貨幣価値の効用を発揮していた。それは、戦国の大名領国制から全国の政治統一事業の進歩するにつれて、商品経済の拡大、発展していった条件に基づいている。かくて鉱山界は異常な活況を呈した。この時代に開発、増産をみたものとしては、但馬生野銀山、佐渡相川金山、石見大森銀山、摂津多田銀山、肥後相良領銀山などがあげられる。当時貴金属の豊富なことは、軍事力の強大と直接関係するようにさえなった。殊に武田氏にとり近隣の戦国大名との闘争=特に背後における北条今川の進出をおさえ、越後の上杉、三河の徳川、尾張の織田を粉砕して=やがて、中央に進出しようとする計画の前には、封建的大軍団編成のための多額の金銀を必要としたからである。
 信玄が、全国諸将にさきんじて鉱山採掘、金貨鋳造をはじめたのは臨済宗の策彦によるものといわれている。策彦は美濃の人で、後に塩山(松里)の恵林寺にいた。甲州に来る前、大内義隆の命を受け明国に2度にわたって文物、制度その他の視察をして来た。策彦については甲州在住1年余りで帰途を河内路にとり下山穴山氏に別れを告げ、この時信友夫人から法号を求められ「葵庵理誠」の法号を授けた。この献策によるか否かははっきりしないが、信玄発掘の旧鉱坑は県内至るところに存在する。「甲斐国志」には甲州金山として、黒川金山・雨畑山・芳山・鳥葛山・湯ノ奥御座石などをあげている。又駿河の富士金山・梅ヶ島金山がある。本来産金の多くは砂金掘が中心であった。波木井川の川筋は戦国中頃まで農家の農閑期における副業として砂金掘が行なわれていた。この川筋の砂金掘には一つの特色があった。川の岸辺に穴を掘り上流より水を流し、下流に細く流れ口を作ってネコザつまり目の立ったムシロを敷き、こまかい砂利をそのゴザの上を流してやると目の立ったムシロに砂金がかかる仕組になっているごく簡単なものであった。
 もともと大城川流域は地質学上からみても糸魚川構造線上にあり断層の最も複雑な地域であり、金銀含有の条件としては当然整っている訳である。一般に諸国の金銀山の中には戦国期にひらかれて一時に盛況を示してのち漸次不況の途をたどって江戸前期には廃坑となったものが多い。そのためか比較的盛況時代の史料はほとんど残っていない。またその地方の村方文書にも、金山史料として用いるにたるものは僅少であり、武田領国の場合についても同様である。ことに産金のことについてはすべて極秘であり、そのための厳しい掟の中にあって金山掘はなされた訳だから、後日に残す資料とておそらくは書き置くことはなかったものであろう。従って著名な前記金山の産金量やその状態については詳細に知るよすがもない。同様に湯平金山廃坑についても前記同様ほとんど推定の域を出ないのは残念ではあるがいたし方あるまい。しかしながら武田が数々の戦に圧倒的勝利を得た背後にはこれ等産金の力があずかっていたことは想像にかたくない。とにかく、金鉱開発についてはあらゆる手段をとっていたものと思われる。このことから、砂金掘の人足は大城川筋にも相当入り込んで来たものと思われるし、また試掘もおそらくなされたのではないだろうか。湯平部落の金山鉱廃坑も当時の芳山の廃坑と一脈通じるものがあり、横相など共に相似の点がみられる。当時甲斐には金山衆という金掘りがあり、武田領下の金山衆は金山の業主であったが、同時に田畑などを所有した地侍的地名主層でもあった。金山衆は、これら金山の衰微後又は武田滅亡後四散したものと思われる。ある者は他の鉱山へ移ったものもあり、ある者は土着して帰農した者もあり今日の湯平部落の発生となったとも考えられる。湯平部落の自然的条件からみても大城川本流と湯沢川又は塩川とは合流点にできたデルタ状の河岸段丘上にある部落であり、自然地理的集落の発達からみると、農耕を中心とした部落の発生となるのであろうが、当時の甲斐の土木技術は急流の多い治水工事などから飛躍的に進歩していたものと思われる。
 このことから職業的坑夫の発生をもみたであろうが、しかし当時の湯平部落の状況からみてむしろ、農民の性格を失なわないもの、片手間の賃労働を主とした金山掘りであったと思われる。とにかく労働で賃金を得るものが発生したこと、それは封建的農民の性格から一歩変って来たものといえる。したがって封建農民が坑夫稼ぎにいくということが、封建的の規模からみて記録に残す程の産金量はなかったのではないかと思う。前記の金山衆がこの部落にあったものか否かはまったく不明であるが、当時この辺り一帯の支配は湯川を1つへだてた門野の鴨狩入道か、又は遠藤伊勢守かは判然としないが、段丘上の西隅にある八幡社の伊勢守関係の言伝えの残ることからみて多分にこの地頭であった伊勢守の支配下におかれていたのではあるまいか。従って荘園制の崩壊から戦国の領主制への変革期の中で大城村の支配形態も大いに変ったものであろう。大城村なる村名は「国志」によると「大城という村名も関砦より起ると見えたり」江戸初期「松平甲斐守領国の時は此の路に番所を据えたりと云」さらに甲斐国志史蹟の部に遠藤伊勢守城蹟(大城村)駿州阿部郡へ出る間道を守衛し墟なるべし本村より阪路1里余にして乙女坂という処の下にあり高爽の地なり(乙女ハ御停ト訓相通ズ)とある。これら甲斐国志から推察するには甲駿街道の間道として梅ヶ島温泉に至る重要な位置を占めていた。武田支配の頃駿河攻略に出兵したのは永禄11年(1568)であったのか。この時は中道往還の改修がなされた事からみて河内路の開発は未だしの状況だったと思われるが、穴山信君が江尻城主となったのが天正3年(1575)であることから駿河支配には当時甲斐府中との連携又は居城下山との連携などから考えて、相当の労力を要してその開拓につとめたものと思われる。これ等主道の開拓と共に戦略的にみて間道の整備に当らせ、敵の腹背をつく位置にある乙女峠(安倍峠)に対する防備を一層固めたものと思われる。(今日安倍峠と大城との中間に古谷城なる地名存せり。30年余り前まで数件の民家あり)このことからみて江戸初期頃までは番所を設け前記身延門前町の発達の中で記したように旅人の往来監視と共に物資の流出入の取締りにあたらせていたものであった。なお安倍梅ヶ島に通ずる間道の遠見番を置いたところとして、大城成島、さらには雨畑長畑があり、大城の地頭として遠藤伊勢守があった。乙女峠の間道防備に当っていたものであろう。遠藤伊勢守については国志士庶部に「伊勢守の父は左門衛尉といい鎌倉へ仕え日蓮宗旨創立の時に当って帰依せし由、文永中伊勢守日蓮に従って身延山に入り初め大城村にあり粟倉に幽居して終る。実に建治2年(1276)丙子7月8日なり。嶺松院一斉連明居士と謚す(大城村妙覚寺に墳墓あり)後裔勘解由左衛門尉宗重元和6庚申年閏12月4日卒す宗光殿厳院日守居士と号す……」さらに「大城村に遠藤塚と云あり宅址は畠となりて今皆税地になり遠藤伊勢守は穴山時代の地頭にてありしと言伝う。身延山過去帳に遠藤左衛門尉法名宗広永正15年(1518)12月25日とあり其人なりや否、大城村は駿州阿倍郡への間道あり」と記してある。さらに「又成島にも所縁の者ありし由、駿府の在郷に遠藤原と云所あり是も伊勢守の由緒なりと告げし人あり」国志以外の資料を散見することができず、およそ言い伝えられるところからみても鎌倉以降大城村にあって長く地頭としてこの地の支配者となっていた。ことに河内の穴山支配中は一定の年貢のほかに厳しい賦役=夫役(労働地代)が課せられていた。これは上代律令時代の庸に当り荘園制になって領家の直営地の畑の耕作とか、領家の警衛や年貢の米銭や運送夫役その他の人夫に徴用された。又このほか手作田(正作田)つまり直営地の耕作や雑事に農民を徴発することに地頭は権力を乱用して限度をこえた用役を農民にしいた。夫役は大体農閑期をえらんだ。一定日数の奉仕を強要したり代銭、代米などをかわりに徴発した。この夫役は戦国期にもひきつがれ更に加徴されたようである。勿論農民にとっては大きな負担であった。おそらく、これ等のことから、乙女峠番所の検番もこれ等夫役によりなされていたものであろう。永禄9年(1566)穴山信君は南松院に大城郷を寄進し、本年貢と夫役をあたえた。と南松院文書に見えていることからみて、村内農民の生活は大変なものであったことであろう。武田失脚後、遠藤伊勢守一統は史実に表われていないが、国志に見えるよにう「駿府の在郷遠藤原」に逃避したものではあるまいか。大城妙覚寺、及び下山粟倉遠藤山にも以後の資料らしきものは見当らない。江戸中期以後は、遠見番所も廃止され、峠づたいに安倍郡との交易が秘(ひそ)かにおこなわれていた模様である。婚姻などもわずかに峠越しに行なわれていた。

  付 身延町字名一覧
地区名
大字名
小  字  名
下山
粟倉
小原島 上粟倉 根岸 上の山 蟹沢 草里 大石野 香多和 石倉 増野 西沢 尾之上 下粟倉 五路見沢 堀切 小豆草里
下山
五豆沢 藤塚 南松院前 尾の下 宮沢 愛宕 鳥居木 矢沢 阿手古 清水沢 鶴巻 大庭西 矢沢日向 阿手古日向 関島 堤沢 仲林 大道 山口 大久保 寺尾 新光 仙王 阿手古沢 宮原 北沢 本町西 横和田 杉山 荒町東 柏尾 仲町西 清水 平清水 新町東 宮之向 番匠小路 長谷 深沢 仲町東裏 八幡林 菖蒲沢 車石 川向 川除下 宇山 炭焼 山額 御所平 端淵 高島
身延
身延
上塩沢 町方 鳶之沢 南谷 東塩沢 鷹取 西塩沢 洗足 殿前 上の山 寺平 七面山 船久保 御塔林 東谷 西谷
梅平
本田 堰端 釜土 儘下 小池沢 道平 宮原 加久保 清水林 鏡平 花立 新無 長割 栃久保 坪枯 中河原 上河原 竜ケ鼻 諸枯 豆畝 丈山 亥新田 横手 三国 勝沢 大草里 柏坂 松島 芦沢
波木井
宮ノ花 淵無 一里松 一ノ沢奥 鬼ノ久保 宮ノ下 浜松 大峯 一ノ沢西向 西平 久保田 波木井坂平 一里柏木 恵福 勝負沢 開登 波木井坂 鼠沢 恵福草里 鬼沢 登立 日向 滝沢 西山 御堂向 古屋敷 滝沢西 三本松 西畑 大切 臼久保 小名沢奥 北畑 北向 白石 堂ノ屋 上島 城山 蕨平 上之山 原 深沢 一ノ沢尾羽 南林
大野
家之前 横手 島 綾沢 南天畑 抽之木 家之上 西裏 東裏 中沢 下河原 高之木 荒久山
豊岡
小田船原
大嶋 山田下 南山田 大倉山 二ツ石 堰下 小田横尾 船原山 三ツ石山 村添 広河原 室子山 大嶋山 和田 三反池 日向草里 船原横尾 北沢 鼠沢 鷹取山 山之神 清水 樽ケ沢 姥草里 日影田 下小田 広河原山 早稲田 上小田 砂利山 室子 中林 小田山 山田 中嶋 細野
門野
鼠沢 外草里 井戸沢 丸山 嶋 山之神 湯沢 湯沢道 御堂下 中河原 御堂後 湯口 上ノ山
大城
馬込 下平 奥山 水上 北沢 蕨平 堂ノ上 才房 中ノ山 和簷 奥河原 平木場 宮ノ前 芝草 ザレ 宮沢 風吹原 古谷城 中河原 湯平 西草里 中村 宮ノ脇 金山 北平 湯沢 名越戸 的場 古長谷戸 日影平
相又
芹之沢 長畑 片瀬 御内屋敷 下ノ嶋 宮ノ上 重田 日向山 夕日嶋 井戸尻 西之入 桂沢 立間沢 田頭 平坂東 針山前 榎畑 鹿苗代 峠 清水沢 針山 漆久保下 野瀬川 坂本 長峯 円山 漆久保 清水 籠ノ花 峠沢 宿先 塚原 五郎嶋 坂本前 境之沢 針山下 平 朝日嶋 坂本 柵之沢 林先下 坂本下 上村 火焚嶋 夫婦石 横道 林先 枯下 石原草里 柿ノ畑 南沢 駒狩 上ノ段 大道 楜桃沢 北沢 左間沢 日向草里 大嶽 小嶽 日影草里
清子
大沢 門原 天神 枯上 矢林 芝原 丸山 柳沢 船越 門川 清子河原 阿原 歌里 横溝 浜井場 水久保 古谷戸 矢口 清水 外嶋 栗田 向林 下横手 
光子沢
大日向 芝立 蔵峯 受地 大膳沢 谷津 冷ケ沢 井戸尻 上之久保 長畑 亀久保 立屋 竹之上 砂子神 野草里 大畑 向田 殿入 天神前 神田 戸坂 谷ツ田 上菅窪 下菅窪 大平嶋 嶋田 庚申畑
横根中
山崎 雪田 日向 丸山 南沢 前田 杉窪 星久保 大下 谷田 清水 間々下 横根沢 上之山 境ノ沢 茶堂 南田 立屋 中沢 峠 堂平 中街途 東街途 谷ツ尾羽根 三蔵沢
大河内
上八木沢
下河原 宮之前 清水 向山 川向 鰍原 御崎沢 大日沢 上之山 トツタテ 大草里
下八木沢
大田 片瀬 天神 石倉 上畑 川張 山入 仲嶋 駒狩 柿田 関屋 久保 地賀窪 あ良志 大炊平 田之上 丸山 海老作
帯金
上方 榎田 志久 五斗蒔 町尻 下方 泥之沢 上梵天 持木島 下梵天 南泥之沢 久保 江草里 北泥之沢 南林 入之沢 林山 柳ケ入 三石 上之山 南沢 大久保沢 引核 川向 宮ノ上 塩之沢 榎島 林之前 大岩 大岩奥 天神蔓 奥塩之沢 鳶沢
大垈
尾羽根 松葉 川戸頭 峠 丸谷 沢山 三ツ葉谷 随慶 牛ケ道 日蔭 細畑 川戸上 原 羽舞場 初坂 明神下 西向 牛首 切合 穂矢之木 棚下 界之沢 平基 入ケ嶽
椿草里
不動島 清水 下村 奥村 蕨平 中嶋 日蔭 前坂 後山 茶草里 十郎 壮鉄 五宗 奥山 小平 泥利 御路 大小屋 蛤 時沢
丸滝
子ノ神 森下 宮ノ前 宮ノ脇 樫木立 桜井 大日向 竹之沢
角打
桐屋 南原 前ノ田 手水石 宮之後 下上行 上上行 北原 荒田 蟻ケ腰 丸山 荒田山 入田 入 市路 柏森 南山 斧川戸 桃ケ窪 大地 うつぎ
大崩
柿平 中平 立石 沢之神 幅下 何田 大林 谷津 坂 家之前 竹久保 和之木 奈向 向山 入之島 佐野道 三ツ石 大寸場 林 後山 大小屋 セツカ 峯 入蔦 コシルジロ
和田
新田 向田 石蔵沢 奥石蔵沢 多之鹿草里 天狗岩 入山 平林 田之沢山 奥田之沢 中田之沢 前田之沢 米倉 神崎原 大名 物見 釜上 上之原 西村 西門 下平道東 下平道西 平道西 平道東 釜下
樋之上
家之前 入 針原 大日向 垈 萩平 舟久保 さつかけ
大島
的場 田沢 水上 谷津 清水 磨間下 宮原 新地 前河原 小島 中河原 下新田 小室沢 作田 馬込 向平 湯別当 棚之沢 三ツ沢 長野 鞍田 寺ノ入 椚葉 大日向 鳥屋林 堀切 方坂