一、廃置分合を必要とした理由

 南巨摩郡下山村・身延町・豊岡村および西八代郡大河内村は、小規模の自治体ではあるが、住民の福祉を図るため過去において多くの努力を重ねてきた。しかしながら、産業に文化と交通にあらゆるものが長足の進歩を遂げつつある今日、現在の規模では時代の要求する自治行政を積極的に推進することは不可能な状態である。
 なお往時より此の四ヵ村は兄弟村として住民の間に婚姻関係も非常に多く結ばれており、町村合併促進法の制定によりこの区域をもって新町を建設し、関係住民の福祉を増進し地方自治の本旨の充分な実現を図るため合併しようとするものである。

二、経緯の概要

 下山村・身延町・豊岡村及び大河内村は、富士川をはさんで身延橋をくさびとして相対し早くから峡南地方の中心地として発展してきた。下山村と豊岡村は身延町を貫いて走る甲駿往還の宿場として交易が盛であり、大河内村は身延線の開通によって日蓮宗の総本山久遠寺の玄関に位し、共存同栄の生活圏を形成してきた。このような不即不離の関係にある4ヵ町村が町村合併して強力な自治体を組織し、新しい郷土を建設することは歴史の必然であり、時あたかも町村合併促進法が施行されるや、合併の気運は急速にもりあがり次のような幾多の協議が関係町村の間にもたれ、多くの曲折を経て今日の合併をみるに至った。
 昨年12月22日関係四ヵ町村の代表者(町村長・議会議員・各種団体長等)80名が参集して町村合併のための研究会を開き、四ヵ村合併を検討することになった。この間或は各町村毎に4ヵ町村連合して協議会を開いてこの地区の合併について討論協議した結果、本年4月13日身延町役場で関係町村から町村長以下9人の代表者を送って町村合併促進協議会を発足させることになった。
 4月13日には、協議会の規約を決定し、会長に身延町長を、副会長に下山・豊岡・大河内の村長をそれぞれ選任して、地勢・産業・経済・歴史等のあらゆる分野から検討して4ヵ町村が合併して新町を建設することを前提として協議にはいることになった。その際事務局より示した協議条項について各町村では町村に持ちかえって自己の態度を決定するため幾度となく協議を重ねたのであるが、身延町内の態勢が整備されなかったため、約1ヵ月間の日時が過ぎた。その後下山村においては4ヵ村合併について批判する意見が出、19回に及ぶ村内の協議会が開かれるなど町村合併のための白熱的な討議が行なわれた。
 町村合併促進法施行1周年を記念して全国的に行われた合併強調週間を期としてこの地区の協議もようやく再開され、10月1日には身延町で第2回の協議会がもたれ、更に10月15日には大河内村役場で第3回の協議会が開かれた。この会議には下山村は都合によって参加しなかったが、下山村を含む4ヵ町村で来春2月11日を目標に「身延町」として大同団結することが決定された。
 11月19日、下山村で開かれた第4回の協議会では関係4町村の全委員によって前月15日の大河内村における決定事項が満場一致で再確認され、役場庁舎の位置を始め16項目にわたる合併条件が協定され、ここに4町村が合併し「身延町」を設置することが力強く宣言された。
 関係町村では部落懇談会等を開催してこの協定条件を住民に説明し、「身延町」建設に対する協力を要請した。
 新町建設計画は、町村長、正副議長等が2回にわたって打合せ、原案を作成し、12月16日豊岡村で開かれた第5回協議会に提案された。ところが大河内村委員は合併の期日、2月11日について異議を唱え、遂に退場するに至った。
 あとに残された3町村は直ちに善後策を協議した結果やむを得ず3町村会議に切換え新町建設計画及び合併条件を最終的に協定した。なお大河内村が早期に村内態勢を整備して既定方針に従ってこの3町村に合併するよう附帯決議を行なった。12月21日には、3町村の議員総会を開き22日に各町村の議会を招集することを決定した。
 12月22日、3ヵ町村の議会が身延中学校に開かれ、各町村長の提出した合併に対する五議案を満場一致で議決した。議会閉会後議員総会を開き、各町村議長より議決した旨の報告が行なわれ、全員がこれを確認した。
 大河内村当局は、下山・身延・豊岡3ヵ町村合併決議の結果を知り、翌12月23日夕刻、大河内村も同時に合併したい旨、村長・議長両名による公文書を送付して来た。しかしながら既に3ヵ町村の町村議会の合併議決を終り、且つ申請書の提出期日を、12月25日の目標としているので時間的にも大河内村の合併を再審議することは絶対不可能であった。
 12月26日、大河内村合併申込に対する態度協議のため3ヵ町村の町村長、助役、正副議長の会議を身延町役場で開催す。その結果、大河内村は、合併議決しないこと、合併の真意があやぶまれる等の点も考慮され結論を得ず、新年早々協議することに意見一致して、その旨、大河内村に回答す。
 昭和30年1月8日、大河内村より対等合併の議決書(3ヵ町村の合併協議書を全面承諾の上)を受けた。
 これにより1月12日身延中学校において3ヵ町村合併促進協議会を開催し大河内村合併に対する協議を行った結果、3ヵ町村の議会議員の意見を尊重するとの結論を得た。
 1月14日、知事より12月25日提出した下山村・身延町・豊岡村の3ヵ町村合併の許可書を収受す。
 1月20日、3ヵ町村議会議員の合同協議会を身延中学校に開催して大河内村合併の件につき協議したところ、町村内、下部組織に一応納得済の上行ないたい結論を得る。
 1月21日より25日迄5日間、下山村・身延町・豊岡村各町村当局、議会および合併促進協議会委員は町村内の住民に大河内村の合併を受入れるよう鋭意努力を重ねた。
 1月26日、午前10時より身延中学校に於て3ヵ町村合併促進協議会を開催し大河内村の受入れに対し協議した処4ヵ町村合併をすべく結論を得たので直ちに四ヵ町村合併促進委員会を開催しこれを決定する。
 同1月26日、午後1時より下山村、身延町、豊岡村の町村議会を各々身延中学校において開催し大河内村を含めての4ヵ町村合併の議題に関し、議決したので急きょ、大河内村議会も開会同件を議決した。
 各町村議会に於て議決後、4ヵ町村議員の合同会議を開催し郡境を越えての四ヵ町村合併を再確認し2月11日発足する事となった。
 合併議決に際しての議案は、次のとおりである。
 (註)4ヵ村の議決書は内容が同じであるので下山村のもののみを掲げ、議事録は各町村のものをそれぞれかゝげた。