四、流産に終った屠畜場建設、上水道 自動車教習所
新町発足以来、町の積極的発展策として多くの企画立案がなされ、成功裡に完成したものも少なくないが、中には中途で挫(ざ)折の止むなきに至ったものもある。
初代佐野祥盛町長の時代に計画された屠畜場建設は、32年6月の議会で帯金地内ヘ建設することが可決され、500万円の起債も議決されたが、自己財源の貧困、用地について一部の反対論など障害が多く結局未執行に終った。
旧身延町より引継がれた上水道計画も雄大な構想を抱きながら実現に至らなかった事業のひとつである。33年頃から旧身延町を中心に水道組合が作られ、旧町時代からの推進者であった田京駒男厚生課長の立案により、西谷雨乞下より取水し、旧身延はもちろん、富士川を越えて駅方面まで給水しようというもので、国からの起債4,700万円も認可され、一部送水管の埋設、組合費の徴収まで行なわれたが、全町的な盛上りを欠き、議会にも異論があり、遂に計画半ばにして中止するに至った。この構想は後に身延簡易水道、中央簡易水道建設に受けつがれている。
自動車ブームの到来を迎えて、各地に自動車教習所が設立され、盛況を誇るようになった昭和39年度、佐野町長は下山地区に町営の自動車教習所を建設し町発展の一助にしようと計画し、当時設置された企画管理室佐野正室長が詳細計画を立て、県公安委員会、各地の教習所等の指導助言も受けつつ推進したのである。
当初の企画として下山地内の耕地246.53平方メートルを整地し、本舎171.6平方メートル修理室19.8平方メートル、車庫49.5平方メートルを建設、大型車1台、普通車5台、軽自動車2台、単車1台を備え、建設費1,200万円余所長以下職員12名で年間収支1,600万円程度を予想し、町議会に条例案を提出する段階まで進んだが、最終段階に至って下山地区より、大資本と提携して競願する動きが現われ、一方隣接南部町に教習所建設計画が進んでいることも考え合わせ、必ずしも強行して収支相償う見通しもつかないこともあって遂に佐野町長は断念を決意し、12月の議会にその経過を報告してこの案も一場の夢と消えたのである。
五、名誉町民制度と第一回推戴
昭和42年9月の定例町議会で、加藤市郎(副議長)が佐野町長に対し、身延町名誉町民制度を設けて、町の誇るべき人物を推戴するように提唱し、町長もこれに同意した。これにもとづき、町は同年12月の定例町議会に「身延町名誉町民条例」を提出、満場一致で可決されたのである。
身延町名誉町民条例(昭和42年12月26日 身延町条例第16号)
(目的)
第一条 この条例は広く社会文化の進展について功績があった者に対し、その功績をたたえ、町民敬愛の対象としもって身延における社会文化の興隆に資することを目的とする。
(称号)
第二条 本町に居住する者若しくは本町に縁故の深い者で、公共の福祉を増進し、学術技芸、その他広く社会文化の振興又は地方自治の発展に寄与し、その功績が卓絶であり、町民の尊敬を受ける者に対しては、この条例の定めるところにより身延町名誉町民の称号を贈る。
2 名誉町民には名誉町民章を贈るものとする。
第三条 名誉町民は、町長が町議会の同意を得て選定する。
(功績の公表)
第四条 名誉町民の功績については、町の広報に掲載し顕彰する。
(待遇及び特典)
第五条 名誉町民に対しては、次の待遇及び特典を与えることができる。
一、町の公の式典への参列
二、本人の生活に対する便宜の供与又は援護
三、死亡したときは、相当の礼をもってする弔慰の表明
四、功績碑、記念碑の建立
五、その他町長が必要と認める特典
(称号の取り消し)
第六条 名誉町民が本人の責に帰すべき行為により著しく名誉をうしない、町民の尊敬を受けるにふさわしくないと認められるときは、町長は議会の同意を得て名誉町民の称号を取り消すことができる。
2 前項の規定により与えられた待遇および特典を失なう。
(規則への委任)
第七条 条例の施行に関し必要な事項は、町長が別に定める。
附則
この条例は、公布の日から施行する。
同時に施行規則が制定され、名誉町民章の形式その他も決定された。
昭和43年1月28日の議員協議会に、町長は藤井日静・綱脇竜妙の両師を名誉町民に推戴したい旨をはかり、全員異議なくこれを承認した。
ひきつづいて1月31日臨時議会を開いて正式にこれを可決、町の歴史上初の名誉町民2名が誕生したのである。
町長が候補者を議会に推挙するには、規則によりその都度名誉町民選こう委員会を設けその審査を経てこれを行なうこととなっており、第1回は町長以下13名の選こう委員が審査にあたっている。
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(選こう委員) |
町長 |
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佐野為雄 |
助役 |
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望月吾録 |
収入役 |
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千頭和一男 |
議会議長 |
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鴨狩富治 |
議会議員 |
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川口久広 |
議会議員 |
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大野義学 |
議会議員 |
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平田一三 |
議会議員 |
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鍋島良知 |
教育委員長 |
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鈴木正巳 |
公民館長 |
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中里日応 |
公民館長 |
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望月諦三 |
公民館長 |
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柿島武文 |
公民館長 |
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望月正一 |
昭和43年2月11日午前10時より、町合併13周年、明治百年記念式典をかねて、議会議場において両名誉町民の推戴式が盛大に挙行された。
両師とも90歳以上の高齢ながら元気に会場に姿を見せ、町民の祝賀と名誉町民章を受け、感謝の挨拶をのべた。
名誉町民2氏の顕彰理由は左の通りである。
藤井日静
昭和34年7月身延山久遠寺法主として就任以来、宗門の発展と布教伝道に尽し、身延山短期大学校舎の建設等私学振興に寄与した。また身延山病院を新築し、地域医療保健の向上に寄与した。とくに、世界連邦の提唱者として自ら各国を訪れ、世界平和、国際親善の推進に大きな成果を収めた。
綱脇竜妙
明治39年10月、私立らい療養所身延深敬園を創立、以来60余年、終始一貫、救らい事業に専心し、わが国社会福祉の偉大な功績者としてたたえられている。
身延町合併以後の三役
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町長 |
就職 |
退職 |
初代 |
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佐野祥盛 |
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昭30.3.26 |
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34.3.25 |
二代 |
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河井直一 |
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34.3.26 |
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38.3.25 |
三代 |
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佐野為雄 |
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38.3.26 |
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42.3.25 |
四代 |
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佐野為雄 |
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42.3.26 |
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(現) |
(助役)
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初代 |
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佐野為雄 |
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昭34.10.15 |
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38.2.13 |
二代 |
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若林孝義 |
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38.12.24 |
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40.11.30 |
三代 |
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望月吾録 |
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42.3.24 |
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(現) |
(収入役)
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初代 |
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佐野正 |
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昭30.2.11 |
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33.12.19(職務代理者) |
二代 |
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佐野正 |
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35.12.20 |
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36.10.7 |
三代 |
|
若林孝義 |
|
36.10.7 |
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38.12.23 |
四代 |
|
望月吾録 |
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38.12.24 |
〜 |
42.3.23 |
五代 |
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千頭和一男 |
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42.3.24 |
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(現) |
  
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