二、町村合併における議会の役割
第二章第五節において述べたような経過を辿(たど)って歴史的な一町三カ村の合併が幾多の曲折を経ながらも陣痛の苦しみをのりこえて誕生を迎えるのであるが、この間議会の果した役割は非常に大きいものがあった。
合併の議決はそれぞれ町村議会の議決を経ねばならないものであり、また住民の合併問題に対する関心も非常に大きかったので、議会としても大きな責任を負わされたのである。
4ヵ町村合併に意志統一がなされるまで、下山村には飯富、早川との合併論があり、大河内には財政力の自信から単村独立論もあって、それぞれの議会は数十回の部落懇談会等に臨み、住民の意志統一に努力したのである。
かくして昭和30年1月26日、午前10時より身延中学校において豊岡、下山、身延3つの議会が同じ屋根の下で開かれ、大河内村を含めての対等合併を議決、これに応(こた)えて大河内村も正式に合併を議決、合流して4カ町村議員全員の合同会議において改めて郡境を越えての四カ町村合併を確認し、2月11日の新身延町発足を決定づけたのである。
  
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