三、専業、兼業

 本町は、農業経営規模の零細性のため、明治時代から多くの兼業農家が存在している。農家の生活は、主として農業に支えられ、不足分を副業、日雇等によって補ってきたが、昭和35年頃から、国の高度成長政策の影響により生活水準が向上し、農外からの現金収入を求める傾向がつよくなってきたので、さらに兼業農家が多くなった。昭和40年の中間農業センサスによると約7パーセントが専業農家で、第一種兼業農家が約15パーセント、第二種兼業農家が約78パーセントとなっている。最近の確かな数字は分らないが、専業から第一種に、第一種から第二種へと転落してゆく農家がかなり出てきて、本町のもつ農業経営の零細性を如実に物語っている。従来は農外収入を副業的収入としてきたが、最近では、農業が従となって、副業的要素を多分にもつように変ってきた。本町の専兼業別戸数、兼業の内容は、昭和40年の中間農業センサスによると、表4、表5の通りである。これからの課題は、専業農家の自立経営の確立を期するとともに、大部分を占める兼業農家の振興の方途を講じていかなければならない。

 表4 第一種、第二種兼業種類別、地区別農家戸数
      地区名
種類別
下山
身延
豊岡
大河内
農家数
第一種
第二種
60
288
32
271
61
246
69
333
222
1,138







やとわれ
兼業農家
1
2
49
233
28
210
56
220
58
280
191
943
恒常的
職員勤務
1
2
7
80
8
77
18
63
15
97
48
317
恒常的
労働勤務
1
2
2
45
6
48
7
57
9
90
24
240


総数
1
2
16
27

23
1
14
5
16
22
80
農業
1
2
1
1
 
 
1
1
2
2
林業
1
2
2
6

6

9

1
2
22
漁業
1
2
 
 
 
 
 
 
建設
1
2
14
18

14
1
5
4
10
19
47
その他
1
2

2

3
 
 

4

9



総数
1
2
24
81
14
62
30
86
29
77
97
306
農業
1
2
3
3
 
 

2
2
3
5
8
林業
1
2
2
13
8
10
18
58
7
28
35
109
漁業
1
2
 
 
 
 
 
 
建設
1
2
15
54
2
40
10
23
17
40
44
157
その他
1
2
4
11
4
12
2
3
3
6
13
32





自営兼業
農家総数
1
2
11
55
7
61
5
26
10
53
33
195
林農
1
2
6
5
2
4
2
7
8
11
18
27
製造業
1
2

6

4

1

3

14
漁業
1
2
 
 
 

1

1
その他
1
2
5
44
5
53
3
18
2
38
15
153
  1965年(昭和40年)農業センサス

 表5 専業兼業別農家戸数
   区分
年次
農家戸数
専業
第一種
兼 業
第二種
兼 業

昭和27年


1,645

338

727

580

昭和30年

1,568
217
424
927

昭和35年

1,627
68
170
1,389

昭和40年

1,465
105
222
1,138

昭和43年

1,376
124
114
1,129
山梨県統計書、農業センサス、山梨県農業基本調査

四、供出と予約売渡し

 第二次世界大戦以来、国策として食糧増産が強力に進められ、また統制がしかれ、更にそれが供出制度となって、農家は一定量の保有米を認められ、他は供出させられたので食べるにも充分でなかった。敗戦後は、労働不足による農耕地の荒廃、肥料不足、農業技術の遅れ等がひどく、更に、復員者、海外からの引揚者、また、出生率の急激な増加によって、人口は増加し、食糧の危機は、その極に達し、社会不安まで招いた。その後年々労力が確保され、開田開畑も進み、化学肥料も配給制度から自由販売となって大量に出回り、また、農業技術の改良進歩によって逐次食糧事情は緩和されたが、昭和26年頃まで、食糧難時代は続いた。この間、生産する農家も、消費者も、並々ならぬ苦労を味わったものであるが、農家は、保有米の確保、供出の完遂と食糧増産に、夜の明けきらぬうちから日の沈むまで、一くわ、一くわ、苦しい肉体労働にもめげず、黙々と働き続けた。その甲斐あって食糧事情は好転し、昭和27年に麦類は間接統制となった。しかし、米には、引続き割当制度があり、昭和29年まで続いたが、昭和30年から予約販売制度となって現在に至っている。統制、供出当時は、雑穀類、いも類、豆類まで自由に売買することは許されなかった。米の供出の代りに代替供出として、米に換算して政府へ売渡すことは、一定量まで許された。昭和30年から、昭和42年までの予約売渡し実績を表6によってみると、年々、売渡量が多くなってきたことがわかる。これは農業技術の進歩と、病害虫防除の徹底が期せられ、反当収量を増加させ、また人口減と食生活の変化によって米の消費量が減少したことなどから換金の手段として、売渡す農家が増加したためと思われる。

 表6 予約米売渡地区別実績
 地区別
年次
下山
身延
豊岡
大河内
昭和30年
Kg
12,075
3,162
1,061
1,232
17,530
  31
10,200
4,500
1,800
1,440
17,940
  32
8,550
2,550
1,350
2,175
14,625
  33
9,302
3,080
1,447
2,464
16,293
  34
11,226
4,158
5,024
2,737
23,145
  35
8,853
2,044
2,425
1,940
15,262
  36
14,445
8,069
9,178
6,622
38,314
  37
18,387
9,640
12,997
11,919
52,943
  38
23,900
11,242
14,322
18,849
68,313
  39
25,071
8,716
14,938
21,128
69,853
  40
14,168
6,437
12,412
10,995
44,012
  41
9,960
2,340
6,622
9,606
28,528
  42
22,680
7,635
13,952
19,197
63,464
   食糧事務所資料

五、就労の実体

 さきに述べたように、農業経営の零細性から、農業に従事するものはほとんどが主婦老人層で、青壮年層は農繁期にのみ従事し、片手間労働をもって経営に当っているケースが多い。昭和40年の中間農業センサスの結果は、表7の通りであるが、現在では、更にこの傾向が進んでいるものと思われ、今後も更に急テンポで推移して行くことが予想される。

 表7 農家、家族員の農業就業状況(男女別)
   区分


地区名

家族員 

総数

14才 

以下

15才

16才 

以上

農業就業人口
総数
年間農
業従事
日数29
日以下
30日〜
 59日
60日〜
149日
150日
以上
下山
882
297
30
555
133
39
11
22
61
943
294
19
630
402
91
42
93
176
身延
795
252
30
513
102
17
9
30
46
841
223
17
601
345
91
54
96
104
豊岡
862
293
26
543
146
10
18
39
79
869
271
20
578
391
53
66
116
156
大河内
1,018
310
31
677
162
29
17
40
76
1,058
294
28
736
460
71
91
134
164
3,557
1,152
117
2,288
543
95
55
131
262
3,711
1,082
84
2,545
1,598
306
253
439
600
 (注)1965年(昭和40年)中間農業センサスより