七、身延駅前の観光案内板

 身延駅は、身延山の玄関口であるとともに白鳳(はくほう)渓谷への下車駅でもある。昭和42年身延町と早川町は協同して、身延駅前構内に鉄骨製の大観光案内板を設置し、身延山・七面山・白鳳渓谷・下部温泉などの観光案内に供している。

八、身延山ロープウェイ

 西谷から、奥之院へ架設されたロープウェイは、昭和38年8月開通したもので、身延登山鉄道株式会社(社長山川良一)が経営している。高低差763メートル、最急勾配(こうばい)33度5分で、日本一の急勾配である。奥之院まで1,665メートルの路線を7分間の空の旅ができ、一般参拝客の利用も逐次増加している。

九、観光協会のおいたち

 昭和のはじめ「身延旅館組合」「身延みやげ組合」が設立されたが、身延にその頃、観光協会は生まれていなかった。しかし昭和27年には、日蓮聖人立教開宗700年慶賛記念事業が執行されるにあたり、町行政の要請に応えて町長を会長とする観光協会を設立し、県観光連盟に加盟したが、観光という言葉を表面に出すことは、あまり歓迎されず関係者の協力は薄かった。昭和30年2月身延町ほか三ヵ村の合併により新らしく身延町となり、町役場に商工観光課が設けられたが、観光事業は、町の予算で運営されていた。昭和37年4月、信仰と観光の町づくりを町是として、身延参詣者を主とした仏都観光を推進することになり、関係者の理解も深まり、身延山はじめ寺院・旅館・みやげ品店などの関係者を一丸とした身延町観光協会が、実質的に誕生し、昭和38年6月観光基本法(法律第107号)が制定され、国も自治体も観光事業の重要性を大きくとりあげるようになってきた。町村合併以来、役場事務処理の合理化により、町の観光主管課は、所属や課名がいく度となくかわったが、現在は産業観光課の商工観光係となり、観光協会事務を兼ねている。
(一)観光協会の活動
 仏都身延を旗印とする、信仰と観光の町、身延町観光協会は、山梨県、県観光連盟、などと共催して、各種の宣伝活動、観光施設の整備改善、観光従業員に対する講習会の開催に併せ、協会単独事業などの活動をおしすすめ、昭和38年、39年には、町観光課と協同して、ポスター、パンフレットを発行(以後毎年発行)し、観光宣伝隊派遣、ハイキングコースの開さくなどの観光事業が振興されてきた。
 
 昭和40年には、日本舞踊の藤法会社中(代表藤間法素娥こと望月房江)の協力により例年行なわれている「山梨の観光と物産展」や、県が主催して、大都市に宣伝する多数の催しものにも、身延山讃歌をはじめ、身延の民謡などを出演して好評をはくしている。
 また身延山万灯講保存会が、講元以下33名で結成されたのもこの年で以来この万灯講(現講元遠藤能明)は、NHK・TV番組「ふるさとの歌まつり」の出演をはじめ、県外に「万灯まつり」(第十二編万灯まつりの項参照)を紹介して、観光宣伝に一役かっている。三門ならびに総門の公衆便所が完成し、花火大会を実施したのも、この年である。
 昭和41年には、総門駐車場(無料)が完成し、使用を開始した。 
 昭和42年には、身延駅前に大観光案内板を鉄骨で設置し、身延山奥之院に周遊歩道が開さくされるなど、身延参詣の近代化がすすめられていった。
 昭和43年には、「身延山の枝垂桜」(昭和41年製作)のポスターが、日本観光ポスターコンクールで、全国286点のなかから最優秀賞(運輸大臣賞)に入選したほか、新時代に即応できる観光協会の体質改善と飛躍的発展を目標として、自主団体としての機能が十分発揮できるようすすめている。
 国道52号線の舗装化および国鉄身延線の急行電車運転と、観光周遊地指定、身延山ロープウェイの架設、さらに高速自動車道促進など、観光の多様化に合わせて、仏都観光を積極的に推進しているのである。
    昭和44年度身延町観光協会役職員名
 顧問       身延山総務    望月日雄
 顧問       身延線管理長   小林敦
 顧問       身延駅長     藤森邦夫
 会長       身延町長     佐野為雄
 副会長      身延町助役    望月吾録
 副会長      身延山久遠寺   斉藤運
 副会長      土産品      加藤市郎
 副会長      旅館組合長    畑野稔
 副会長      土産品組合長   山本健二
 理事       七面山別当    長谷川寛慶
 理事       奥之院別当    佐藤玄守
 理事       寺院       下里是忠
 理事       寺院       堀一勇
 理事       寺院       遠藤是光
 理事       寺院       上田本昌
 理事       旅館       遠藤久雄 
 理事       旅館       田中不二雄
 理事       旅館       深沢忠雄
 理事       旅館       中村英文
 理事       旅館       望月伊織
 理事       土産品      岡本平八
 理事       土産品      一宮市松
 理事       土産品      遠藤幸雄
 理事       土産品      深沢為吉
 理事       土産品      雨宮勉
 理事       土産品      遠藤保則
 理事       土産品      池上芳広
 理事       写真       藤田大六
 理事       商工会      鴨狩広
 理事       商工会      雨宮永伯
 理事       商工会      仙洞田順次郎
 理事       商工会      小笠原政義
 理事       飲食       望月孝三
 理事       飲食       池上良三
 理事       交通       深沢善兼
 理事       交通       佐藤善一
 理事       交通       雨宮利雄
 監事       身延町収入役   千頭和一男
 監事       土産品      遠藤弟三
 監事       商工会      深沢徹
 賛助員      清住区長     深沢栄
 賛助員      上町区長     米山佳雄
 賛助員      東谷区長     疋田英肇
 賛助員      西谷区長     望月海淑
 賛助員      仲町区長     斉藤一郎
 賛助員      橘町区長     小倉彦二
 賛助員      元町区長     望月善長
 事務局長     産業観光課長   守屋秋造
 事務局次長    商工観光係長   佐野雅美
(二)観光の町・身延
 本県は、山紫水明で、富士五湖をはじめ観光地はいたるところにあるが、身延の周辺には、下部温泉郷、白鳳渓谷、雨畑渓谷などがあり、町内には日蓮聖人にゆかりの遺蹟、名勝なども多く、日蓮聖人に身延全山を寄進して、身延山の基を開かれた南部氏八代の館址、波木井城址をはじめ、戦国時代の穴山氏の城址があり、また、自然にはこの地方は多雨地に属し、繁茂した樹種は三百余種の多きに達し、特に杉の巨木多く、県下有数の美林をなしている。したがって鳥獣の種類も多く、ことに小鳥類の多いことは全国でも珍らしいとされている。
 昭和44年8月には身延山久遠寺において、「世界連邦平和促進宗教者大会」が開催され、世界の平和と日本を総括テーマに、世界の全宗教界をあげての、空前の大行事が行なわれたのである。

 表5 身延町観光協会の概況表
年度
会長名
会員数
 (人)
町補助金
 (万円)
予算額
 (万円)
主な事業
37
河井直一
90
15
53
 
38
佐野為雄
90
25
67
ハイキングコース開さくパンフレッ
トポスター発行(以後毎年発行)
39
佐野為雄
90
25
77
県外宣伝開始(以後毎年実施)
40
佐野為雄
99
25
177
公衆便所(三門・総門)設置
花火大会、信玄まつり(下山)
41
佐野為雄
99
25
123
駐車場(総門)設置
信濃路キャラバン
42
佐野為雄
100
25
187
観光案内板(身延駅前)建設
周遊歩道(奥院)開さく
43
佐野為雄
101
25
206
観光多様化対策推進

(三)温泉開発の展望
 赤石山系の身延川・湯沢川および、毛無山系の湯別当沢・鍬柄沢・御崎沢などの川筋一帯をはじめ、光子沢の湯つぼ沢、大野山の東西沢谷などには鉱泉の湧出が認められる。
 西谷妙石坊付近には、昔から鉱泉が湧出し「妙法泉」として利用されていた。現在は他勢の変化によりその跡もないが、温泉掘さくの計画がある。また、昭和44年身延地下資源開発株式会社(社長小林正雄)が、小田船原三段池地内に温泉掘さくのボーリングを開始した。最大掘立能力3,000メートル、屈折掘りのできる機械を使用しており、湯量毎日1,000トン、温度50度から55度を目標に工事をすすめている。
 温泉の開発成功により身延の観光は、信仰を中心としつつも、より大衆的な健全レジャー地域としての発展が期待されている。