第三節 家庭教育の振興一、家庭教育学級昭和44年度 下山地区家庭教育学級学習計画
(付・感想文) 家庭教育学級にまなんで 清 子 遠藤喜代子 昨年の10月22日に開講されました、豊岡家庭教育学級の学級生として学習を重ねること6回、毎回有意義な3時間の講義を受けた私は、家庭の持つ役割りの重大さをしみじみと感じました。 まず家庭教育の意義についての学習から、私自身の生活態度や考え方を反省して、子どもの育成につとめてゆきたいと思いました。 学校教育と家庭とのちがいについては、今まで何気なく子どもを扱って来ましたが、家庭では家庭でなくては遂行することのできない、きめの細かな人格形成という大事な役割りを持つところであって、大きな親の任務があるということに気づきました。 子どもはつねに親の姿をみつめていて、いつしか親に似た行動をとっているという話を聞きまして、家庭の生活のすべてが教育であることを認識して、責任ある毎日を過してゆきたいと思っております。 父親から社会性を、母親から情操を汲みとってもらうためには、私は親自身が子どもに期待する人間像を、はっきりとさせることがまず第一だと思います。 戦後の混とんとした社会もようやく落ち着きをみせて来た今日、現在に生きる子ども達をどのように育てていったらよいだろうかと考えたとき、すっかり自信を失ってしまいましたが、学習を重ねまして大へん得るところがございました。 石川先生の講義でしたが生活の中に技術を考えようというお話は、私にとってはとても貴重なものでございました。親は子どもを可愛いいのは当然ですから、特に愛情を示すようなことはないが、愛情を理解させる必要はあると思います。 また大人がすれば早くかつじょうずにできることでも、子どもが独立して仕事や遊びをやりたいという要求を満たしてやること、また子どもの行為や存在を認めてやることなど、家庭でこのような生活様式がすべて満たされているかどうか反省いたしました。 今後は子どもを立派な一個人として、つねに認めてやりたいと思いました。次に読書のことですが私はさしあたり忙がしい農村生活で、置き去りにされがちな子どもたちのために「子どもとともに読書する20分間運動」を推進してみたいと思っております。 今回の学級は父親の参加者も大勢で、豊岡の地域に即応した学習が実施され、終始熱心の雰囲気の中で学習し、種々自信を得させていただき極めて有意義なものでありました。 付 外国人が見た日本の家庭像 (昭和43年12月12日の毎日新聞紙より)
第四回全国家庭教育研究会第三回のパネルデスカッションで、長い間日本で暮している米・英・独・仏の外人たちが日本のしつけのポイントをつく討論を展開した。 「日本は子供の楽園といわれるけれど、ほんとうは親は地獄じゃないでしょうか。子供のことをあまり熱心にかまいすぎます。フランスでは母親は子供たちの女中ではないのだから、子供にも家庭の仕事をどんどん手伝わせます。そして小学校にはいるまで小さな動物と同じといって、必要なことは体罰を加えてでも教えます。そのかわり、学校にはいり大人になるにつれて、親は子供の意志を尊重してゆきますが、日本の母親は子供たちに口先でダメというだけでせがままれば何でも許す、ふしぎですね」 「イギリスにはムチを惜しめばこどもを失うという古いことばがあり、私も食卓マナー、会話のし方、正しいすわり方や、歩き方などきびしくしつけられました。特に重視されたのは会話のし方で、両親の来客に、あいさつして話相手になったり、食卓の会話で自分の考えをはっきり表現することを練習させられました。これは大人になって大変役に立っています。日本のお母さんは教育熱心なのに、このコミュニケーションのしつけだけは忘れていますね」 「アメリカの家庭では、家族がいっしょに過ごすこと、家族の意志を疎通させること、家族で何かきめるときには、みんなが参加してはっきり考えをのべること、の三つが一番大事だとされています。日本ではどうでしょう」 「お母さんはむかしより強くなったが、お父さんは下宿人ていどというのが日本の家庭でしょう。そして、お母さんは教育の自信を失って、いうことを聞かないとお父さんにいうよなんて、お父さんをムチ代りに使っています。私はドイツの暖い家庭で、父から家族みんなで遊ぶよろこびや、いたずらのしかたなど、家庭生活の楽しさを十分教わりました。自分が家庭を持つと、このことがどんなに大事かがわかります。日本でも父親は家庭生活に、むかしのように権威一点ばかりでない、楽しい影響力を持たなくてはいけません。私は日本のお父さんを家庭に返せというデモをしようと考えているほどです。日本では、子供のすべての教育を学校にまかせすぎるが、これは大きなまちがいでしょう」 以上の話を要約すると、「子供の楽園でなく親の地獄」「教育熱心だがしつけ不足」「家庭は家族みんなで動かすもの」「ムチ代わりにされているお父さん」のようになるが参考になることばかりである。 |