二、家族会議よい家庭においては老幼男女を問わず、家庭の人々の人権が尊重され、衣食住、保健衛生等の日常生活が合理化され、子どもは調和と愛情に満ちた雰囲気の中で成長がとげられねばならない。こうした家庭こそ「夫婦親子兄弟は互に扶養しなければならない」といい、また「同居の親族は互に扶養する義務がある」という新民法の上に立った家庭である。ところで日本の家庭には二つの問題があるといわれている。一つはまだぬき難い封建性の残っている農山村に多い家庭での問題、他の一つは割り合いに民主化された都市に多い家庭での問題である。前者は解放が遅れていることに、後者は解放はされたが、統合が忘れられていることが原因である。昭和23年、民法が改正されて戸主も戸主権もなくなった。妻は夫と同じ地位にまで引上げられた。長幼を問わず、男女を問わず、家族の人権は平等に認められることになった。ところが法の改正が先行して「新しい家庭はどうあるべきか」の教育が後になったところに今日の問題が生じているのである。一方学校においては新教育二十余年、民主教育はめざましく進展してきた。子ども達は年齢を問わず、男女を問わず、すべて公平に平等に扱われ、お互に話し合いによって事を理解し納得した上で行動し、自己の責任を果たすという民主的な生活の仕方を教えられている。しかしこの子どもが一旦家庭に帰ると、そこにはまだ依然として命令と服従といった型が残されている。子どもは学校で民主的な生活の仕方を学び、家庭に帰ると封建的な生活でしつけられようとしている。「人権の尊ばれる家庭を作ろう」「みんなで日本の家庭を明るくしよう」というのも、新しい家庭の建設と、人々の幸福を願ってのことである。 では明るい民主的な家庭を作るにはどうしたらよいか。それには色々の方法があるが、最も基本的で、すべての家庭に必要なことは、家庭の人達が話し合うことによって、お互に理解し合い、協力して家庭生活を営むということにあると思われるのである。 ある家庭では土曜日の晩に日曜日の仕事の予定について話し合ったために、子どもが進んで働くようになったとか、家庭経済について話し合って家に赤字のあることが真剣に討議されてから子ども達の金の使い方が少なくなり、物を大事にするようになったとか、子供クラブの計画や学校の予定が前もって話されるので、これと家の行事との調節を図るようになったとか、昔の苦労話をきいて年寄りへの理解を深めたとか、年寄りが若い者の考え方を段々理解してきたとか話し合いによる成果はいろいろあげられている。結局新しい家庭を作るには、家族会議をもたねばならないことが結論づけられた。 家族会議には色々やり方があるが、決してむずかしく考える必要はない。極めて自然の形で、常になごやかな形のうちに、話し合いができるよう考えるべきである。 しかし一般に現段階においては、意図的に話し合いの機会を作ることが必要である。いつでも都合のよい時に開くというのは結局開かないことになりがちである。 家族会議を通して、皆がよい家庭人になることに努め、民主的な明るい心豊かな家庭を作り意義ある人生を達したいものである。 なお話し合いのあとでお茶をのみながら、テレビを見たり、レコードを聴いたり、やさしいレクリエーションを加えることも考えたいものである。 (付・作文) 特選(青少年のための山梨県民会議会長賞)
家ぞく会議身延町立大和小学校二年 中山精一
十二月のおわりに、ぼくの家では、かぞくかいぎをしました。かいぎをしようと言いだしたのは、ぼくとにいさんでした。おとうさんはくれのしごとがいそがしくて、夜もおそくなりますので、おかあさんと、中学一年のおねえさんと、中学二年のおねえさんと五人でした。ゆうはんをたべてから、ざしきで立ったまましました。はなしあったことは、ぼくたちのこづかいのことと、プレーヤーをかうことと、しもやまへだれがいくかという三つのことでした。はじめのこづかいのことでは、おかあさんが「一日に三十えんぐらいでよいかな」といったので、ぼくもにいさんも「それでよい」といってきまりました。そのとおりに今までやってみましたが、すこし多いようですから、へらしてもよいと思っています。つぎに中学二年のおねえさんが、「プレーヤーをかってほしい」といいました。ぼくは、プレーヤーはたかいからはんたいしました。にいさんもぼくとおなじようにはんたいしました。中学一年のおねえさんは、さんせいいけんでした。おねえさんはこまったように「かって」といいますので、ぼくもにいさんもこまってしまいました。だから、みんながかんがえました。そしたら、おかあさんが「プレーヤーをかってどうする」とききましたら、おねえさんは「プレーヤーでえいごのべんきょうをしたい」といったのでぼくもにいさんもさんせいしました。おかあさんが「どれくらいでかえるの」ときいたら、おねえさんは「五千九百円ぐらいだよ」といいました。 おかあさんは「それくらいならかってやってもいいよ」といって、プレーヤーをかうことにきまりました。いつかうかということは、まだきまらなかったけれど、もうすぐかうそうです。つぎにしもやまへだれがいくかについてはなしあいました。ぼくもにいさんもいきたいのですが、いちどにいくことはできません。しもやまのおばあさんが、足がいたくてもちがつけないので、おかあさんとぼくが、もちつきのてつだいにいくことにきまりました。お正月になってから、子どもたちが東京からくるので、そのときは、おかあさんと、にいさんがいくことになりました。かいぎは八時三十分におわりましたが、みんなできめたことですから、もんくをいう人はいません。きめたことがその日から、まもられてきまりよいので、これからも、ときどきかいぎをしたいとおもいます。おねえさんもほくほくたのしんでいます。 入選(青少年のための山梨県民会議会長賞)
わがやの話し合い身延町立身延小学校三年 藤 田 摩耶子
みんなで楽しい夕はんをすませて「こん夜はみんなで話し合いをしてください」と、わたしがおかあさんにいうとおかあさんは、「どうしてな」と聞きましたのでわたしは、「これがしゅくだいよ」というと、おかあさんは、「そうそれはいいことだね」といってにっこりわらいました。そしてごはんの後かたづけを早くすませて、家中でこたつにまるくなりました。「そうね、おかあさんは、まやちゃんたちの家での勉強について」ということについて話しました。「学校から帰ってまずうがい、手あらいをして、しゅくだいを一番先にしてしまうこと、それからきょうのふくしゅうをして、後は自分のすきなようにしてもよいです」といういけんでした。そしてどんなことでもわからないことは、自分でよくかんがえてから、さいごに人にきくということでした。つぎにおとうさんです。おとうさんは、テレビのみかたについて話しました。テレビはあまり近くでは見ないこと。それから、自分の見たいばん組ははじめからきめておいて、それを見おわったらけじめよくあとはしっかりべんきょうする。おとなのばんぐみをみないこと。それから次はおばあちゃんのばんです。「うちの子どもは、あまりたいかくがよくないので、もっとたくさんごはんを食べたり、すききらいのないようにして、もっと大きくりっぱなからだになってもらいたい」ということでした。次はおじいちゃんの番です。「おまえたちはいつも学校へ行く時はふざけないで、のりものにきをつけて、ちゃんとあぶなくない中道をとおっていきなさい」ということでした。とちゅうでおかあさんが、みかんや、りんごをたくさんもってきてくれました。いつのまにかもう一時間もたってしまい、九時の子どものねるじかんになってしまいました。「これではなしあいはおわり」と、弟が大きな声でいったのでみんな大わらいしました。そしたらおねえさんが「ぼくはもうねむいものだからあんなことをいって、まだぼくはなんにもいけんをいわないくせに」といったのでみんなわらいました。「それではみんなそれぞれのはなしをもう一度よくはんせいして、よい子になってくださいよ」とおかあさんがいいました。わたしはこん夜の話し合いは、ほんとうによかったと思いました。お父さんが「こんどから土よう日の夜はいつも話し合いをすることにしようね」ということで、こん夜のはなし合はおわりました。 佳作(青少年のための山梨県民会議会長賞)
親子の話し合い身延町立身延中学校三年 井出光代
私の家族は、よく将来のことについて話し合います。家族で食卓をかこんで、自分の意見や夢などを、すきかってに語るのです。ときには、「ニュース」を聞きながら、政治問題などについて、意見を述べることもありますが、そういうむずかしい話は、あまり好きではありません。特に話題の中心になるのは、姉と私の将来のことについてです。父や母は、私たちの考えや希望を尊重し、夢を育ててくれます。しかし、このごろの話し合いで、親が、私たち子どもに大きな期待をもっていることがわかり、それがとても重荷に感じることがあるのです。父や母は、私の好きなことをすればいいといいますが、やはり心の片すみで、何か期待しているのだと思います。私のわがままかもしれませんが、私は何にも束縛されないでいたいのです。親が、子どもに対して、夢をいだくことはあたりまえですがこれからは、そういう考えの発言はさけてほしいと思います。ところで私は、家庭との話し合いで、家族が私のことをいろいろ心配して、考えていることを感じ、とてもうれしく思うことがあります。私は、家庭との対話により、互いに理解しあうことができ、自然に家族関係がうまくいき、家庭が明るくなるのだと思います。自分の思っていること、考えていることを、発表するのに、絶好な場所は、家庭の話し合いの場だと思うのです。私は、家族で将来の夢や希望を語り合うことが、とても好きです。家族での話し合いは、とても意義のあるものだと思います。ですから、これからも、家族の理解を深め、明るい家庭を育てるために、家族の話し合いをおおいにしていきたいと思います。 佳作(青少年のための山梨県民会議会長賞)
お正月の話し合い身延町立大河内中学校一年 中野由臣
ある日のことだった。ぼくの妹と、その下の妹が口争いをしていた。「そんなのう、おれのうじゃんか、やたらいぐっちよ」なんていうことを、妹がその下の妹に言っていた。ぼくはこれを聞いて、「もう少し言葉づかいをよくしたらどうだろう」まして五年生にもなって、「おれ」などということばは、もう少しなんとかならないものだろうか、などという感想をもちながら、毎日を送っていた。ある時は、ひとのことばかり、おせっかいをやいていて、一体自分はどうだろうか。今まで使っていた言葉はよいだろうか。それとも悪いのだろうか。よく考えてみれば自分だって、妹と似たような言葉を使っていたことも少なくなかった。一体どうしたらよいものだろうか。自分が妹たちに注意するのもちょっと恥ずかしい気もする。こんなことを考えたことも、しばしばあった。そしてそのうちに、お正月がやって来た。しかし、このお正月に、ぼくの悩みというか、心配ごとを解決してくれることが起きた。一家でおとそをいただくとき、父が「ここで今年の目標を一人一人いいなさい」と言った。すると妹は「そんなことう言っとうて、おれ、こまるもん」と言った。すると「よし今年の三人の目標は言葉づかいをよくすることいいな」と父がいい、今年のぼくたちの三人の目標は、言葉づかいをよくすることに決ってしまった。それから数日後、食事の時「あのーきょうね、おらんとうのーあっわたしの学校でね」妹は、なんとか自分のことをわたしと言えるようになって来た。でも、ぼくは、まだ言えなかった。言えない理由のなかには、恥ずかしいという気持が、心のどこかにあったのかもしれない。しかし、いま考えてみると、おれ、なんて言う方がよっぽど恥ずかしかったと思う。それから数日後には、妹は完全に、わたしと言えるようになり、ぼくも、なんとか「ぼく」と言えるようになった。でもぼくが「ぼく」などと言いだしたので、初めのうちは妹たちがひやかしたりして、とても恥ずかしい気持ちだった。しかし、いま考えてみると、お正月に「言葉づかいをよくする」と言う目標を決めてたいへんよかったと思った。 |