明治6年1月 |
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身延学校が設立された。 |
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明治7年12月 |
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波木井学校が設立された。 |
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明治7年12月 |
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大野学校が設立された。 |
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明治(年月日不詳) |
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身延学校は総門盍簪(かしん)坊に移転し身延尋常小学校と称し大野はその分教場となった。 |
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明治(年月日不詳) |
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波木井円実寺仮教舎は民家に移転し波木井尋常小学校となった。 |
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明治30年7月 |
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高等科設置の認可を得て身延尋常高等小学校となった。 |
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明治35年4月 |
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2小学校1分教場は廃止となり新たに身延村立身延尋常高等小学校設立の認可を得て村の中央殿前に新築開校した。 |
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明治38年2月 |
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身延農業補習学校を併置した。 |
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明治44年12月 |
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旧校舎の東方に3教室を増築し落成式を挙行した。 |
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明治45年4月 |
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南巨摩郡立小学校教員養成所を併置した。 |
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大正2年3月 |
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小学校教員養成所を廃止した。 |
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大正4年6月 |
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手工科加設の件が認可された。 |
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大正11年4月 |
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校旗を制定し樹立式をおこなった。 |
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大正13年10月 |
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旧校舎の東方に2階建4教室の校舎を増築した。 |
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昭和3年4月 |
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修業年限二箇年の実科高等女学校を併置した。 |
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昭和6年1月 |
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町制施行され町立身延尋常高等小学校と改称した。 |
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昭和8年12月 |
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梅平(現位置)に2階建16教室を新築移転し落成式を挙行した。 |
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昭和16年4月 |
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国民学校令が施行され身延国民学校と改称した。 |
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昭和18年12月 |
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校庭を拡張し一万平方米(メートル)余となった。 |
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昭和19年9月 |
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集団疎開受け入れ |
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昭和22年4月 |
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学制改革により身延町立身延小学校と改称した。 |
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昭和23年4月 |
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山梨県の実験学校指定校となった。 |
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昭和24年1月 |
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火災により全校舎焼失し、身延高等学校校舎の一部を借りて授業を継続した。 |
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昭和25年3月 |
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第1校舎が落成した。 |
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昭和25年10月 |
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第2校舎が落成した。 |
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昭和27年5月 |
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一宮角一の寄贈による校旗樹立式をおこなった。 |
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昭和30年2月 |
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PTA寄贈により身延小中学校プールが建設された。(長さ25メートル、幅15メートル、深さ1メートル) |
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昭和30年2月 |
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下山・身延・豊岡・大河内が合併し身延町となった。 |
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昭和30年12月 |
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校歌が制定された。作詞・岡本淳三、補訂・米山愛紫、作曲・山口保治。 |
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昭和36年12月 |
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中央公民館兼小中学校屋内運動場の竣工式を挙行した。 |
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昭和37年2月 |
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給食室が完工し給食を開始した。 |
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昭和37年5月 |
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水道が竣工した。 |
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昭和37年8月 |
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低学年用プールが完工した。 |
昭和37年11月 |
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学びの池が竣工した。 |
昭和37年11月 |
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PTA発足15周年式典を挙行した。 |
昭和38年2月 |
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東日本子ども音楽大会に初出場した。 |
昭和38年11月 |
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望月郷良よりグランドピアノが寄贈された。 |
昭和39年2月 |
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東日本子ども音楽大会東京大会へ出場した。 |
昭和40年4月 |
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県統計教育研究指定校となった。 |
昭和40年5月 |
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教材園が完工した。 |
昭和40年5月 |
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子ども郵便局が郵政局長賞をうけた。 |
昭和40年7月 |
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プール浄化装置が完工した。 |
昭和40年8月 |
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楽器受納感謝記念演奏会を開催した。 |
昭和41年7月 |
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県統計教育研究協議会が本校で開催された。 |
昭和41年8月 |
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全国中継ラジオ体操の会が本校で開催された。 |
昭和41年8月 |
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創立100周年記念事業としてテレビ15台が寄贈された。 |
昭和41年8月 |
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創立100周年事業としてオルガン45台が寄贈された。 |
昭和41年9月 |
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創立100周年事業としてエレクトーン1台・顕映機1台が寄贈された。 |
昭和41年9月 |
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台風26号による災害激甚であった。 |
昭和42年6月 |
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学校設備調査校となり文部大臣賞を受けた。 |
昭和42年9月 |
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中庭の側溝が完工した。 |
昭和43年2月 |
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学校前へ歩道橋が設置された。 |
昭和44年4月 |
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通学服を指定採用した。 |