二、青年教育の計画と実績

 勤労青年の教育がわが国の産業の振興に寄与し、民主的で文化的な国家建設の基盤をなすものであることにかんがみて、国家社会の有為な形成者育成のために、昭和28年8月青年学級振興法が公布されて以来、青年教育の場づくりは行政指導のもとに関心が高まってきた。
 青年教育の振興をはかることは、身延町にとっても急務であると思うが、ここでは学習を中心とする青年学級へのとりくみ以前の問題として、青年集団の組織化への方向を中心に記してみたい。
 青年集団を組織化するにあたって
イ、青年の実態を良く知ること。
ロ、青年集団の目的をはっきりすること。
ハ、活動が実践的であること。
 の3点をふまえて青年の自主性を尊重しながら、より良き仲間になることである。以下、その概況を記すと、昭和38年を最後に団員の減少、さらに地域指導者の欠除から、町連合青年団は合併以来10年の歴史をあとに消えさった。
 合併以降行政上の手段方法のなかったことの責任は免ぬがれないとしても、青年団組織は自然発生的に生まれ、かつ自主団体としての発想であり行政がどこまで介入すべきかは問題のあるところである。
(一)本町在住青年
(昭和40年国勢調査)
区分
年齢別
人員数
男子 女子 構成比
0歳〜4歳
494

463

957

7.8
5〜9 595 583 1,178 9.6
10〜14 769 715 1,484 12.1
15〜19 680 592 1,272 10.4
20〜24 263 327 590 4.8
25〜29 298 324 622 5.1
30〜39 823 808 1,696 13.8
40〜49 679 815 1,494 12.2
50〜59 565 662 1,227 10.0
60〜69 486 563 1,049 8.6
70以上 275 406 681 5.6
5,932 6,318 12,250 100.0

※ 青年に該当する(20歳〜24歳)の590人を細分すると、大学生150人、下宿型青年(遠方通勤者)約50人と推定、残る約400人は(近村通勤、中小企業)町内の勤労青年を含めて在町するものと推定される。
(二)本町青年団の組織
 昭和41年、下山地区に若人の会が37名で誕生。同年団員7名から一挙に47名の参加を得て豊岡青年団が再発足、同年11月大河内青年団83名で再建する。
 この年、青年団員組織人数222名となり、全町1本の青年団組織化へのきっかけとして、次の青年教育指導者研修会が開催される。
 このような現状のなかで「青年団の意義を知り、青年としての共感を深め、それぞれの立場を理解し、お互いに
イ、仲間になろう、仲間のなかの自分を知ろう。
ロ、青年自身の責任と役割を知り、発展的組織化、内容充実のきっかけを得よう」。
(三)身延町青年教育指導者研修会の開催
 主催 身延町青少年総合対策本部・身延町教育委員会
 昭和41年10月22日−23日(1泊2日)山之坊において開催参加者70名
 イ 研修の柱
1 青年と組織
2 青年と学習
3 青年と社会活動
 この研修会を通じて、青年の多くは疑問を持ちながらも、町一本化組織への関心を深めることができた。
 現在、身延町青年団体連絡会議の名称によって連絡提携している。
(四)文部省委嘱青年教室の開設
1 文部省は累年勤労青年教育の一環として、委嘱青年教室を開講してきた。この機会をとくに青年活動において意欲的である豊岡地域青年を対象に申請。県内四ヵ市町村に認可委嘱さる。(富士吉田市、白根町、身延町、芦川村)
 イ 学習の目標 豊かな人間関係を深め、社会人としての連帯感を養う。
 ロ 学習時間 年15回、42時間
 ハ 対象者  豊岡地域青年男女約50名
2 学習内容

開設 学習課題 学習方法 講師・助言者
6月 開講式・運営協議コーラス 式、青年歌合唱 教諭
 千頭和貞子
6月 男女交際のエチケット 講義・話し合い 社教主事
 矢崎聡司
7月 キャンプの意義と実際 実技 実習 社教係長
 田中安春
8月 職場の人間関係 講義・話し合い 校長
 山本恒雄
8月 レクリエーション 実習 教諭
 千頭和貞子
9月 町の歴史と概況 講義・話し合い 町長
 佐野為雄
9月 コーラス 青年歌合唱 教諭
 千頭和貞子
10月 ハイキング七面山登山 郷土の見聞と
自然観察
社教主事
 望月俊夫
10月 礼儀作法 講義と実習 師範
 山田雪江
11月 手紙の書き方 実技 学習 郵便局長
 片田為丸
12月 料理実習 実習 栄養士
 宮崎光恵
1月 青年期の生活 六六式討議 校長
 雨宮正
2月 冬季スポーツ教室 実技 実習 郵便局員
 千頭和米男
2月 閉講式・反省会 式・話し合い 教委 関係職員
 本町行政指導のもとに、豊岡地域の勤労青年を対象にした学習活動である文部省委嘱の青年教室が、終始熱心に開設されたことは近年の青年教育のなかで特筆すべきであり、国県の協力とともに青年リーダーの献身的努力を称賛したい。今後もなお有志指導者の養成は積極的に進められなければならない。
 昭和34年8月の台風により、標高約2,000米の身延七面山から、八絋嶺を経て、静岡県梅ヶ島温泉に通ずるハイキングコースが大被害をうけた。地元の豊岡青年団として、ハイカーの便を考え、昭和35年9月団員19名をもって応急修理して好評を得た。
 以来年々この奉仕作業を、団活動の一つとして継続して今日に至っている。なお昭和42年には身延町観光協会から感謝状をうけた。

三、成人式

 「成人の日」それは満20歳の青年男女が、1人前の日本社会の形成者として門出する日であり、「おとなとして自ら生き抜こうとする青年を祝い励ます」ために設定された祝日である。この日を卜(ぼく)して本町では、毎年1月15日に町を挙げて、これら青年男女の将来に心から祝福と激励を贈ってきた。昭和44年度の成人式は晴天に恵まれ、適齢者393名を迎え、身延中学校屋内運動場において盛大に挙行された。
開式のことば   助役   望月吾録
国家斉唱
式辞       町長   佐野為雄
 宇宙時代を迎え、清潔にして溌剌とした青年となり、社会発展の推進力となることを期待する。
祝辞        山梨県知事代理南巨摩県民室長
          町議会議長  鴨狩富治
      町教育委員会委員長  鈴木正巳
よりそれぞれ力強いお祝いのことばが贈られた。
 続いて適齢者を代表して下山の広島慶子さんから
 近代の生活に必要な知識と技術を身につけ、合理的な生活を営む実践力の強い人となります。
 人間相互の人格を尊重しあい、社会の一員として道義を重んじ自主的な行動をし、明朗にして民主的な人となります。
 心身ともに健康で、豊かな教養と品位とを備え、本町文化の伸展につとめる人となります。
 国際社会の名誉ある一員として、世界の福祉と繁栄に寄与し得る人となります。
 勤労の精神にあふれ、個人を生かす職業を身につけ、本町になくてはならない人となります。
参加者全員の拍手のなかに朗々と宣誓があった。
 式場はパーティー形式を採用し、第2部成人を祝う会は、青年団の趣向によるキャンドルセレモニーによって盛りあがった。
 青年ひとりひとりの持つローソクの灯に「成人の日」のよろこびはかくしきれず、お互の目は光り輝いていた。
 世界を明るく照らす「平和」の灯
 苦難に心を開く「正義」の灯
 えい知で築く「努力」の灯
 勤労の精神を培(つちか)う「健康」の灯
 平和・正義・努力・健康を象徴する4本の灯を中心に、来賓、成人者がお互いにシュプレヒコールを行なった。
 「君たちの心のなかには青空がある」その青空を若い仲間のひとり、ひとりがより努力して世界のすみずみまでも押し広げよう。
 「君たちの若い正義と情熱が郷土を興すのだ、国を興すのだ」……
 「そうだ若さは未来に可能性を持つ」
 「そうです若さは未来をつくる泉です」……
とそれぞれの祝杯のなかに元気よく明日の日に向って誓いあっていた。