第四節 婦人教育

一、婦人団体のおいたち

 日本では、明治初年以来、欧米の文化が急速に入って来て、それを模倣する時代が訪れ人権尊重、無差別、四民平等という観念が強くなるにつれて、男子とともに社会生活を営んでいる婦人の状態が、このままでいいだろうかという現実問題から、婦人をあらゆる面から、解放しようとする婦人運動に発展し、ここに今日の婦人団体は端を発しているのである。
 婦人同志が相謀(はか)り、協力して、婦人の幸福を求めようとする自主的の考えを持つ、進歩的な婦人の手によって、明治19年(1886)に「日本キリスト教婦人矯風会」が誕生し、これがわが国最初の婦人団体の本格的な結成である。

二、戦前の婦人団体

(一)愛国婦人会
 愛国婦人会は、明治34年(1901)婦人の愛国心の喚起の目的から生まれた。本県では35年(1902)支部が創立されたが、入会者は僅少であった。翌36年(1903)には、創始者奥村五百子が来県し普及につとめたことや、37年日露開戦により入会者は増加し、39年には第1回支部総会が開催され、総裁閑院宮妃が出席された。このようにして、県下各町村の入会者は、次第に増加し、明治・大正・昭和にわたり、かがやかしい活動を続けてきた。
(二)婦人会
 明治末期から大正初頭にかけて、各地に婦人会が結成され、裁縫講習・料理実習・講演会開催・風俗矯正等の事業をなし、婦人の修養活動が展開され、社会教育団体として枢要の地歩を占めるに至った。
 しかし青年団や婦人会は、常に官憲の指導下にあり、その自主性を欠き、第二次世界大戦中から、漸次指導が強化され、ついに戦争完遂のための国の御用機関化し、もはや社会教育団体としての本来の自主性は失ってしまった。
(三)国防婦人会
 満州事変が勃発するや、大阪市の婦人によって作られた白エプロン姿の婦人会が、国防婦人会に発展し、やがて全国的のものになった。当時の豊岡村分会の記録によると、在郷軍人分会の後援を得て、昭和12年(1937)10月に結成し、目的として挙国皆兵の精神に基づき、婦徳を発揮、日本婦人として護国の大義を実践履行して、国防上銃後の力となることが決められている。
 婦人の修養を目ざしてできた大日本連合婦人会や、地域に作られた各種の婦人団体には、やがて国防婦人会、愛国婦人会のさん(傘)下に入り、昭和17年(1941)には政府の命令により、「大日本婦人会」に1本化したが、ついに敗戦を迎えて姿を消してしまった。

三、戦後の婦人団体

(一)おいたち
 昭和20年8月15日第二次世界大戦は終りを告げた。戦前の婦人会は、各その歴史が示すように、国家のための犠牲と奉仕の団体として終始した。そうした婦人会から脱皮して、平和日本、文化日本の建設のため、団結して立ち上がり、家庭や社会の封建性を打破して、更に民主主義を推進しようとしての、地域婦人会結成の動きは、わが国の婦人がはじめて参政権を行使した昭和21年にはじまった。
 これを契機として、県下各地に婦人だけの集会が持たれ、進駐軍地方民事部も、民主主義思想の普及と民主化の促進のため、22年から24年にかけて、婦人団体の結成を指導したこともあって、地域婦人会の結成は、急速に進み、25年頃までには、その活動内容に多少の差異はあっても、一応県下一円に結成された。
 こうした動きの中において、昭和22年9月「婦人の自主的活動により、あらゆる封建性を打破して、婦人の経済的・社会的・政治的地位の向上につとめ、平和国家、民主国家の建設に寄与する」という目的を掲げてまず下山婦人会が結成された。ついでほぼ同様の目的をもって豊岡・大河内・身延にも婦人会が結成された。なおこれと並行して農協婦人部・未亡人会・日赤奉仕団など各種婦人団体が結成されていった。
(二)町内婦人団体のあらまし
 ア 下山婦人会
昭和22年9月結成し次の支部をおいた。
 杉山・荒野・新町・山額・大工町・竹下・仲町・本町・大庭・上沢・粟倉・大石野・小原島
歴代会長
小松けい 望月絹枝 佐野嘉津枝 土橋きくえ 佐野としよ 望月宗 遠藤道子 井上あき子 望月富恵 望月幸恵 井上清乃 松木いつ代
その他の婦人団体
 農協婦人部・日赤奉仕団・母子福祉会・愛育会・交通安全母の会
 交通安全母の会は、その活動を認められ、昭和44年1月山梨県知事並びに山梨県交通安全協会長から表彰された。
 イ 身延婦人会
昭和24年結成し次の支部をおいた。
 波木井1区・波木井2区・波木井3区・塩沢・清住町・上町・仲町・橘町・元町・梅平1区・梅平2区・大野・支院
歴代会長
青鹿たわ 河井てい 古屋茂登子 依田のぶえ 堀つる 依田百合子 藤田弥生 内藤美代子 佐野数恵 渡辺ゑみ子 雨宮かえ子 望月まつ 大橋富士子 日吉松子 佐野かめよ 望月光子 若尾多津美
その他の婦人団体
 母子福祉会・交通安全母の会・山内婦人会・愛育会
 ウ 豊岡婦人会
昭和22年結成し次の支部をおいた。
 船原・小田・門野・湯平・大城・相又下・相又上・清子・大久保・光子沢・横根
昭和32、33年度にわたり、文部省委嘱婦人学級を開設した。
歴代会長
鴨狩サヨ 種部かつ 松田ふさ 市川やゑ 小山ふさ 望月ちゑ子 片田ゆきゑ 大村豊子 大野もと 遠藤たねじ 沢田久子 小野まち代 望月ともゑ 遠藤節子 小林あき 大野仲恵 佐野家子 千頭和歌子 小山春野 大沢迪子 尾島つや子 市川直子
その他の婦人団体
 婦人友の会・母子福祉会・交通安全母の会・愛育会・女教師と母の会
 エ 大河内婦人会
昭和22年結成し次の支部をおいた。
 八木沢・帯金・大垈・椿草里・塩之沢・丸滝・角打・大崩・和田・上大島・下大島
歴代会長
渡辺恕子 伊藤えい 伊藤シズエ 市川かねじ 高野忠子 望月浪江 伊藤まさじ 片田とよの 鮎川房恵 佐野やすよ 今村鈴江 鈴木はつじ 市川喜美子 市川延子 若林つね子 遠藤治恵 高山たまき 小笠原かねよ
その他の婦人団体
 きさらぎ会・八千代会・かおり会・母子福祉会・交通安全母の会・愛育会
 オ 身延町連合婦人会
昭和30年4月町村合併に伴い、下山・身延・豊岡・大河内の4婦人会が連合結成した。
 目的
 会員相互の親睦提携を図り、婦人会員としての資質の向上に努めるとともに、生活文化の向上と社会福祉の増進に寄与する。
 昭和39年4月会歌を制定した。
 昭和42年度末発展的解消
歴代会長
古屋茂登子 小山ふさ 伊藤えい 佐野嘉津枝 堀つる 沢田久子 高野忠子 遠藤道子 依田百合子 小野まち代 市川喜美子 井上あき子
 カ 身延町婦人会
昭和42年度末身延町連合婦人会の発展的解消のあとをうけて昭和43年4月結成
会長    佐野数枝     小林あき
その他の婦人団体
 若葉会

四、婦人団体の活動

(一)あらまし
 今日公民館を中心に、行なわれている婦人会活動を大別すると、教養、奉仕協力、レクリエーションの三つに分けられる。
 教養面では地区対象や、支部別の学級や講座が開設されているが、最近はグループ別のものもはじめられている。
 奉仕協力面についてみると、敬老会・慰霊祭・歳末助け合い等の福祉面からはじまり、生活改善・交通安全・青少年育成・明正選挙等の社会面に及んでいる。さらに蚊や蝿の撲滅、消毒薬の購入等保健衛生面や物資の共同購入や、花嫁衣装や喪服の備え付等の消費生活の面まで細かな配慮がはらわれている。
 戦後の特徴の一つである、レクリエーションについては、バレーボールにより社会体育の促進を図り、舞踊や、盆踊りにより農村に明るさを与え、地区体育祭や文化祭に参加しては、一段と光彩を添えている。
(二)婦人会活動の具体例
 ア 大工町部落学級
会場   下山公民館大工町分館
会員   約40名
備考   時間励行、出席良好を認められ、昭和42年度下山公民館長より表彰された。

 昭和43年度学習計画
学習要項
4 年間の計画を立てる。
5 電気と電気器具について
6 農繁につき休み
7 農村の食生活について
8 レクリエーション
9 農村の都市化について
10 町政を聞く会
11 農繁につき休み
12 正月料理の実習
1 懇談会
2 健康管理について
3 感想発表を兼ね反省会

 イ 大野部落婦人学級
昭和43年度文部省指定
大野部落婦人学級運営計画
1、   開設者 身延町教育委員会
2、   学級名 大野婦人学級
3、   学級主事名 身延公民館主事 望月俊夫
4、   学級開設期間 43年4月—44年3月
5、   時間数 年間15回夜41時間
6、   学級編成 大野婦人集団(婦人会員)
7、   学級生数 女 40名
8、   開設場所 大野公会堂
9、   開設に協力した団体・機関  大野区・婦人会大野支部
10、   学習目標 部落の近代化のため、婦人はどのような役割を果たすか。
11、   学習計画別表のとおり
12、   運営委員及び学級長氏名
 委員長  深沢初江
 委員   望月和枝 青沼節代  佐野尊子
 学級長  望月ささえ

 学習計画
学習課題 講師助言者
4 23 開講式 コーラス 早川南小学校
   渡辺正巳
5 7 明正選挙について 総務課長
   市川充郎
新郵便業務について 身延郵便局長
   片田為丸
5 21 家庭の医学について 医師
   佐野一男
農村の近代化について 農業改良普及所職員
   武川充男
7 2 身延町の実態について 身延町長
   佐野為雄
7 16 町議会の役割について 町議会議員
   深沢徹
8 6 青少年の健全育成 町教育長
   遠藤誠
8 20 民謡と踊りの練習    藤間法素娥
9 3 家庭の電化心得    東電職員
9 17 夫の立場 妻の立場 郡、社会教育主事
   矢崎聡司
10 1 お作法    青沼節代
11 19 文化財の保護 大野山見学 文化財審議会委員
   市川光宣
12 1 正月料理の実習    町栄養士
1 17 新聞の見方 山梨日日新聞論説委員
2 11 家庭と経済 大河内中校長
   雨宮正
3 10 青年との話し合い 閉講式 青年団幹部

 ウ 湯平、門野婦人学級
1、学級名 湯平・門野婦人学級
2、学級開設期間および回数・時間数
 昭和43年度内11回・30時間
3、学級編成 湯平・門野婦人会員約30名
4、開設場所 豊岡公民館門野分館
5、目的   最近の農家の経営については、婦人の果たす役割は増大している。その役割を果たすため、地域の実態に即した農事の一般について学習する。
6、講師   身延町役場産業課職員農業改良普及所職員

 湯平・門野婦人学級学習計画
学習内容
4 運営委員会を開き計画を立てる
5 苗代の作り方と管理について
6 水稲の肥培管理と病虫害防除について
7 水稲の病虫害防除、農薬の使用について
8 秋野菜の蒔きつけと管理について
8 種子の共同購入
9 茶樹の栽培について
10 野菜の貯蔵と加工について
11 梅を主に果樹類の整枝と剪定について
12 公民館主催の品評会には、自作の農産物を必ず出品し、見学する
1 新年会を兼ね座談会開催
2 野菜類の育苗、栽培について
3 果樹類の春植について 年間の反省と次年度の計画
備考 公民館主催農産物品評会には、全員が出品し、入賞者が多数あった。

 エ 帯金かおり会(グループ活動)

 昭和43年の活動状況
活動内容 参加者
1 子どもを交え懇親反省を兼ね下部温泉で本年の計画をする 8
子 11
3 共同炊事場へ花壇の準備 10
3 子どもクラブと花壇づくり 10
子 15
4 短歌の勉強、良書の紹介 10
5 花壇の除草、苗の移植 6
5 自作の短歌を持ちより研究 11
5 共同炊事場広場の清掃、かぼちゃ、きゅうりを植える 10
5 グループ持続の話し合い 11
助言者2
6 お父さんについての話し合い 10
7 自作短歌の発表と研究 10
8 子どもクラブと共催でお盆についての法話を聞く 11
子 15
9 吟行を兼ね石和温泉にひたり葡萄郷に遊ぶ 11
子 15
11 短歌の研究 8
12 共同炊事場の大掃除 8

1、目標
、望ましい子供の成長を願う親は、親自身が進んで人間づくりをすべきである。
、どんな小さなことでもよい、お互いに良いと思ったことはこれを実行に移し、苦しみは分かち合って向上をはかろう。
、たとえ人員は少人数でも、この運動を持続し自分達がかおることにより、善意を浸透させていこう。
、政治の勉強はしても、グループ全体は、あくまで中立の立場をとろう。
2、構成メンバー、婦人11名
3、会費毎月300円積立て研修費にあてる。
 
(三)身延町婦人会の新生活運動
 身延町連合婦人会活動に引続き、身延町、教育委員会、区長会の協賛を得て、実態調査に基づく、身延町新生活運動実践5項目の推進に努めている。
(実践5項目は新生活運動の項参照)
 このような活動は、婦人自身の内面的な要求から出発し、婦人自身によって作られ、育てられて来たものである。
 今日では、成人団体の中では、もっとも自主的の団体として、社会を構成している機構の一部として、なくてはならぬものにまで発展して来ている。
 「農村から若しよい婦人会が、その姿を消したなら、町村の機能の3分の1がなくなってしまう」とまでいっている人がある。

    身延町婦人会歌    作詞 秋山晴時  作曲 渡辺正巳
一、仰ぎみる法のみ山に
 わく虹よ 流れる雲よ
 おおいまも胸にあらたに
 よみがえるひじりの教え
 われら われら
     われらの身延婦人会
   われら われら
     われらの身延婦人会
三、ふるさとのさかえことほぎ
 咲く花よ うたう小鳥よ
 おおとわに愛と平和の
 ともしびをかかげて進む
 われら われら
     われらの身延婦人会
二、富士川の流れにひびく
 歌声よ かようこだまよ
 おおここにおみなのまこと
 ひとすじに結ぶかけはし
 

 下記婦人会はそれぞれ敬老功労者として、山梨県社会福祉協議会長から表彰されている。
 昭和27年9月18日    身延町婦人会
 昭和30年9月18日    豊岡婦人会
 昭和31年9月17日    大河内婦人会角打支部
 昭和35年9月18日    下山婦人会
                    「山梨の社会福祉展望」より