第六節 青少年総合対策

一、青少年総合対策四つのねがい

 昭和32年の新春、天野久山梨県知事は、青少年対策について、新たな決意を次のように表明した。
 「私たちは、戦後十一年の波らんの生活のなかで、余りにも恵まれることの少なかった今日の青少年問題を、今後はどうしても解決しなければならない。古今東西の歴史に徴するまでもなく私たち一家の興亡に照らしても、問題の所在は余りにも明白である。私はこのさい、いたずらに青少年を鞭(むち)うつことをやめ、私たち自らが厳粛に過去を反省し、一致協力して社会環境の浄化と、多感な青少年のために良好な生活条件をつくり出さなけばならないと考える。
 私たちが建設しつつある「富める山梨」の目標も、産業開発への血みどろな協力もいいかえれば皆ことごとく愛すべき子孫のためのものでありながら、今日の青少年を取りまく社会環境は、あまりにも無茶である。俗悪な刺激、無意味な騒音、権威の転倒と秩序の混乱、八方ふさがりの就職戦線、これでは私たちの時代を託すべき青少年の前途は余りにも気の毒である。私としては、本年こそはみんなの協力により、青少年のために有効な施策を確立し、少なくとも本県からは、世にいういまわしい青少年の非行を一掃し、健康で明るい郷土建設の原動力たらしめたい」この知事提唱により、全国にさきがけ青少年の健全育成を県政の重点施策として、山梨県青少年総合対策審議会ならびに山梨県青少年総合対策本部を設置した。ところでこの運動を全県民総参加のもとに盛り上げるために、次の四つの努力目標を設定し、全県民の親心と愛情から生まれる創意と実践を期待して出発した。
 この間、県下各市町村にも県の施策に呼応して青少年総合対策本部が設置され、地域活動としての認識を深めるに至った。
  この運動を進めるための四つの目標
 (1)青少年に夢を持たせよう。
 (2)青少年を暖かく抱擁しよう。
 (3)青少年に就職の世話をしよう。
 (4)青少年の道義を高めよう。
以下、本町青少年総合対策の概況をまとめて見る。

二、身延町青少年総合対策のあゆみ

 青少年総合対策を強力に、しかも全県民が恒常的に推進する体制は、青少年の生活の場である市町村においても、その態勢に呼応して機構を整備し、活発な活動を展開して行くことがもっとも肝要である。
昭和32年、身延町青少年総合対策本部の設置、本部長を町長とし、副本部長を助役、本部員には収入役ほか各課長が当たる。事務局を総務課内に置いて出発した。
同年9月、身延町青少年総合対策審議会条例の制定となり、本部長の付属機関として委員15名が委嘱され、この運動の活発化が促進された。
同年、青少年を温かく抱擁しよう。という努力目標の実現方策として、青少年の問題について指導、助言またはより良き相談相手となるべき、青少年相談員の制度が置かれ、本町にも41名の相談員が知事の委嘱により設置された。
昭和33年、第2回県青少年相談員の委嘱推せん、41名の更迭を行なう。
昭和34年、青少年育成の基盤と市町村組織の活動をさらに促進するため、地域社会が真に総ぐるみで立ちあがり、共同の責任において、すべての青少年のしあわせを具現するため、各部落を単位にした青少年育成会の結成が促進され、この年23の部落に結成を見た。結成促進費として1戸当り50円の町費の補助が行なわれた。
同年、第3回青少年相談員41名の委嘱推せんを行なう。(任期2年となる)
昭和35年、青少年育成会が7部落に誕生。
同年、青少年育成会活動助成金として町より1戸当り20円計8万円を交付する。以後同じ。
昭和36年、第4回青少年相談員41名の委嘱推せんを行なう。
同年、青少年育成会が5部落に誕生。
昭和37年、県より青少年育成会推進地区の指定を受ける。
同年、青対事務局を総務課より住民課に移行し、児童福祉と相まって行政指導をする。
同年、青少年育成会が10部落に誕生し、全町に結成を見た。
同年、青少年が正しい愛情の人がきのなかで、大きな希望や美しい夢をすくすくのばすことができるよう家庭の基盤づくりを提唱し、10時さよなら運動の展開、青少年よ家路に……と「愛の鐘」を役場庁舎の屋上に設置する。(設備費30万円)
  遠き山に日は落ちて
  星は空をちりばめぬ
  今日の業をなし終えて
  心かろくやすらえば
  風は涼しこの夕べ
  いざや楽しき
  つどいせん
 この曲を流して、いまも青少年を見守りながら「愛の鐘」は毎夜鳴り続けている。
昭和38年、第5回青少年相談員41名の委嘱推せんを行なう。
同年、親子が揃ってスポーツに親しみ心身ともに健全な体力を養いお互いの連帯感を深めるため、青少年育成会対抗親子ソフトボール大会を開催、波木井3区育成会が初優勝し、郡大会に出場した。
昭和39年、県より第2回目の青少年育成会モデル町の指定を受け、その活動は県下に知られるところとなった。
同年、第2回育成会対抗親子ソフトボール大会を開催、角打育成会が優勝。同じく郡大会においても優勝の栄冠を獲得する。
昭和40年、第6回青少年相談員41名の委嘱推せんを行なう。
同年、青対の事務局を住民課より教育委員会に移し、社会教育行政に関連づけられる。事務局長に教育長があたる。
同年、町青少年育成会モデル部落に、荒町・梅平1区・清子・角打の4ヵ所を指定しさらに推進強化をはかった。
同年、青少年の健全なる野外活動を奨励するためキャンプ用テント19張を購入、地域育成会に貸出し、活動の援助を期する。
昭和41年、青少年育成会研究大会を開催、モデル指定部落の実績発表の成果に本部長(町長)の感謝状を贈って賞賛した。
同年、明るい家庭づくり運動の推進ポスターを全戸に配布し、活動の必要性をさらに強調する。
同年、夏季・冬季における青少年の善行指導のために、「善行推進員」を置き、とくに街頭補導を中心に専念する。
昭和42年、県青少年総合対策10周年記念県民大会が開かれ、本町からも多数の関係者が参加した。こうしたなかで10年の県民運動の展開をめぐって論議がかわされ、青少年対策の1大転換期ともなり、いまやひとり行政のみならず「青少年の県政への総参加運動」の呼びかけもあって、真に民間運動としての青少年育成活動へと、ますますその重要性を加えるに至った。
 このため、県にあっては10月23日県に「青少年のための県民会議」が発足し、地域に大きな反響を呼ぶこととなった。よってこの県民会議は関連組織整備のため、市町村に市町村民会議の結成促進が要請され、本町の青対本部員と審議会員は数度にわたり慎重な検討の結果、この趣旨にもとづき、町民会議結成準備委員会を設置した。準備委員会は早期町民会議結成の方向にむかって、青少年総合対策の当面の方策を次のように考えてきた。

三、青少年総合対策当面の方策(抜粋)

1、青少年総合対策本部は、青少年に関する諸施策を総合的な立場から、円滑にして、かつ効果的に推進するため、県においては知事を、市町村にあっては市町村長をそれぞれ本部長として設置してきた。本県が昭和32年以来、10年のあゆみと成果をかえりみて、官民一体の連絡調整の必要性から、県民室のなかに青対本部を置き、さらに機能の強化を図ることとする。したがって本町においても青対本部は今後とも町行政のなかに位置づけ強力に推進する。
2、青少年総合対策審議会は、青少年に関する諸問題を調査審議するとともに、町長の付属機関として諮問に応じて青少年に関する総合的施策の樹立および実施事項について建議するために設置して来たが、この機関は廃止する。(昭和43年6月条例廃止)
3、青少年相談員は、昭和32年以来、本町に41名の相談員を置き、協力を願って来たが、本制度について県民会議の意見聴取のなかから検討し、これを廃した。

四、青少年育成会の状況

 育成会は、青少年総合対策の立場から末端の推進母体として、また強力に地域ぐるみの組織として推進されている。本町には45の育成会を有し、その活動内容には多少の差異はあるが活発な活動がおこなわれている。代表的な行事をあげると、新入学生の歓迎会・映画会・ハイキング・作品展覧会・球技大会・クリスマス・親子話し合いの会・卒業生を送る会・子どもの日の行事・社会見学・キャンプ等多彩な活動がなされている。