第九節 図書館、博物館

一、社会教育施設としての図書館、博物館

 社会教育法第3条に、「国及び地方公共団体は、この法律及び他の法令の定めるところにより、社会教育の奨励に必要な施設、及び運営、集会の開催、資料の作成、頒布その他の方法により、すべて国民が、あらゆる機会、あらゆる場所を利用して、自ら実際生活に即する、文化的教養を高め得るような、環境を醸成するように、努めなければならない」と規定されている。この趣旨を、具体的に展開したものが、公民館をはじめとして図書館であり、博物館であり、成人の利用をねらったもので、重要な社会教育施設である。

二、町立図書館、その他

(一) 町立図書館設置条例
 沿革 昭和三十二年三月三十日条例第四号公布
 町立身延図書館設置条例
 (設置の目的)
 第一条 図書、記録その他必要な資料(以下「図書資料」という)を収集し、整理し、保存して、一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーション等に資することを目的として、町立身延図書館(以下「図書館」という。)を設置する。
 (設置の場所)
 第二条 図書館は、身延町教育委員会事務局内に置く。
 第三条 図書館の活動を十分にするため、必要があるときは、図書館分館を置くことができる。
 (業務内容)
 第四条 図書館は、第一条の目的を達するため、左の各号に掲げる事務を行なう。
 一 図書館資料の収集、整理、保存および利用に関する業務
 二 読書会、研究会、鑑賞会、映画会、資料展示会等の主催および奨励
 三 時事に関する情報、参考資料の紹介および提供
 四 郷土研究に関する助成、及び資料の紹介、並びに提供
 五 その他必要な業務
 (職員)
 第五条 図書館に以下の職員を置く。
  一、館長    一名
  二、書記    一名
 (経費)
 第六条 図書館の経費は、町費・補助金・寄付金・その他の収入をもってこれに充てる。
 第七条 本条例に定めるものを除く外、必要な事項は規則でこれを定める。
   付則
 この条例は、公布の日から施行する。
(二) 身延町立図書館
 沿革
 昭和32年3月、身延小学校内にあった身延町教育委員会事務局内に、町立図書館設置条例にしたがって設置した。昭和35年、教育委員会事務局とともに、身延町役場内に移った。昭和41年9月、台風26号来襲に際し、浸水のため蔵書の大半を失った。昭和42年4月、身延公民館内に移った。
 現況(昭和44年度)
  館長       遠藤誠
  書記       田中隆
  蔵書       1,192冊
  図書費      74,000円
 現在地は、付近に小・中・高の学校があり、また町民の出入にも便利のため、利用者は以前より増加している。
(三) 町内公民館の図書と利用状況
  下山公民館蔵書  500冊
  豊岡公民館蔵書  150冊
  大河内公民館蔵書 1,700冊
 各公民館とも、蔵書冊数が貧弱な上に、古い本が多くあまり利用されていない。社会教育の重要施設としての図書館は、蔵書冊数を増加するとともに、設置条例にもあげてある業務内容を整備し、従来ややもすると、書庫的な感があった静的図書館から脱皮して、近代的性格を持って活動する、動的図書館に成長しなければならない。
(四) 明星文庫
設置場所   身延町和田1662番地
設置者   小林月渓
設置年月   昭和23年9月29日
蔵書冊数   約3,000冊
 上は自己所有のものと、寄付によるもの
目的   戦後の青少年育成のためと、檀家利用のため
開館   毎日曜日
図書分類   宗教哲学教育・文学語学・歴史地理・政治法制・社会・婦人風俗・経済商業・理学工学医学・商業・美術諸芸・運動娯楽
山梨県指令第五七号
          西八代郡大河内村和田一六六二番地
                    小林月渓
昭和二十三年五月二十一日付願出の図書館設立のことは下記条件を付しこれを認可する
 昭和二十三年九月二十九日
              山梨県知事 吉江勝保
一、以下に掲げる事項に該当するときはその設置を取り消すものとす。
(一)  著しく設置基準に遠ざかり図書館の機能を発揮し得ない時又は発揮し得る見込のないとき
(二)  正当の理由がなくて六ヵ月以上公開しないとき
(三)  その他公衆に対する奉仕が不充分でその存置の意義のないと認められるとき

三、学校図書館

(一) 学校図書館の設置
 (小学校)
校別
蔵書
下山 身延 豊岡 清子分 帯金 大和 合計 1校平均 児童
1人当り
文部省基準
1人当り
基準との比較
冊数 1,200 1,462 1,875 700 1,276 1,249 7,762 1,293.6 5.7 5冊以上 基準以上

 (中学校)
校別
蔵書
下山 身延 豊岡 大河内 合計 1校平均 生徒
1人当り
文部省基準
1人当り
基準との比較
冊数 1,200 2,069 1,170 2,487 6,926 1,731.5 8.7 5冊以上 基準以上

 昭和21年3月、来日した第一次アメリカ教育使節団の報告書の中に「学校図書館」を設置する必要が説かれ、文部省でも改めてこのことに気づき、「学校図書館の手引き」の編集に着手して、23年にこれを完成した。耳新しい「学校図書館」という用語が、教育界に広く用いられるようになった。しかし、多くの学校では、戦争のいたでがまだ生々しく、青空教室も解消しない頃であったから、学校図書建設のしごとは容易なことではなかった。本県における学校図書館建設への動きは、全国的にみて早い方で、すでに昭和24年度にはいくつか見るべき学校図書館が生まれた。学校図書館に続いて、各地の公民館図書館、公立図書館も着々整えられて来たので、これらを含めて昭和26年「山梨県図書館協会」が誕生した。学校図書館の初期はいわば「読みもの図書館」時代といえよう。小中学校図書館では、まず「楽しく足を図書館へ運ばせるために」という考えから、物語を書架にならべることからはじめた。「読みもの図書館」から脱皮して、「教育課程図書館」期にはいったのは、昭和28年ころからであった。昭和29年4月1日から「学校図書館法」が施行され、待望の法的裏付けがなされて、学校図書館活動は急激に進展をみせた。昭和32年からは、山梨県図書館研究大会が開かれ、昭和36年11月には、甲府市で関東地区学校図書館研究大会が開かれた。こうした一連の動きの中において、本町内の小中学校の図書館も、次第に発展して今日に至っている。学校図書館は新教育においては学校の中心であり、教育課程をゆたかに活気づけるための必要不可欠の施策であるとされている。
(二) 町内小中学校図書保有状況
 町内小中学校はいずれも図書館又は図書室を施設してある。
(三) 山梨県立身延高等学校図書館
  所在地   県立身延高等学校内(身延町梅平)
  建設    昭和28年12月28日
  施設    独立建物(総坪数 105.6平方メートル)
  設備    閲覧室(105.6平方メートル)
        蔵書数 6,099冊
  図書以外の資料・各種新聞雑誌その他
  開館毎日  (休祭日以外)
  閲覧方式  接架式
(四) 身延山短期大学図書館
 身延山短期大学内にあり、昭和42年に完成し、館長室1、書庫4、閲覧室1がある。
 館内には目下整理中の、日蓮宗関係書・一般仏教関係書・天台宗関係書・哲学書・一般文学書・その他雑書等にわたり、新古多数の書籍を蔵している。
  館長   林是幹
  司書   長谷川義浩
  係員   猪俣日康

四、みどり号来町とその利用状況

 県下にあまねく読書の機会を提供し、あわせて視聴覚活動の機能を発揮する自動車文庫の設置は、終戦後久しい間県民の要望であったが、ようやく昭和28年9月に設置され「みどり号」と命名され、同年10月から巡回を開始した。本町では巡回開始とともに、下山豊岡大河内についで、身延がステーションを設けて利用を始めた。図書の利用のほかに、映画会、緑陰図書館、レコードコンサートなども行なわれ、利用の状況はまことに多彩であった。また身延では、県下のステーションマスターの研究会も開催されたり、献本運動については、4,900円の献金までして運営には極めて協力的であり、豊岡ステーションは、利用状況が良好で表彰されたこともあった。昭和30年、町村合併になっても、旧村ごとにステーションは置かれていたが、利用の状況は次第に下降して、38年ごろはほとんど名目になってしまった。昭和43年4月現在の利用者は、下山1、身延5、豊岡1、大河内2、計9団体である。関係者の話によると、個人への貸し出しのほかに青少年巡回文庫、こども巡回文庫、職場巡回文庫等の貸し出しや、公民館へも貸し出されるので、読書施設の乏しい当地だけに、従来の経過を反省し、各公民館を中心に、責任者を明確にして、利用の状況を昔日の盛況に復したいものである。

五、県立図書館分館の誘致運動

 県下の郡部に、図書館活動を浸透させる目的で、昭和26年分館設置規則が制定され、同年以降地元の要望と協力によって、富士吉田市、市川大門町、櫛形町、塩山市に分館が設置されるに至った。設置状況をみるに、富士吉田市を除き、他の三者は何れも国中地方である。峡南の地に図書館として認められているのは、町立身延図書館であるが、これとても町営で蔵書冊数が貧弱で、分館誘致は多年の要望であった。身延町教育委員会では、社会教育委員からの要望もあり・交通・文化の中心である身延町に誘致すべく、町当局と謀(はか)り・郡地教委連並びに県地教委連とも連絡しつつ、誘致運動を開始している。ただしこの実現には、峡南各町村をあげ、文化面から又政治面から、総力を結集してあたる必要がある。また誘致実現のためには、強力な要望もさることながら、地元の絶大なる協力が必要であることは、言をまたない問題である。