第十二節 社会教育関係団体

 社会教育関係団体とは、「公の支配に属しない団体で、社会教育に関する事業を行なうことを、主たる目的とするもの」との法の認定がなされている。
 このような団体は、PTA、婦人会、青年団をはじめとして、町内に多数の組織がある。
 それらの団体の、目的・組織・活動等については、それぞれの項において、述べられているので、ここでは名称を列挙し、内容を述べるのは1、2の例にとどめる。
  社会教育関係団体名
 PTA・南一連PTA・婦人会・青年団・体育協会・文化協会・柔剣道連盟・野球連盟・育成会・子どもクラブ・青少年のための町民会議・スポーツ少年団・交通安全母の会・愛育会・交通安全協会・女教師と母の会等

一、身延町体育協会

(一) 沿革
 昭和37年8月4日設立
 事務所を身延町教育委員会事務局内におく。
  初代会長  河井直一
  2代会長  佐野為雄
(二) 目的
 身延町の体育を、健全に普及発達させ、体育文化の建設に寄与すること。
(三) 事業
  1、体育思想を宣伝啓発すること。
  2、体育を指導奨励すること。
  3、体育指導者を養成すること。
  4、体育大会、講演会等体育に関する、各種の行事を実施すること。
  5、体育に関する団体、並びにその行事を、援助指導すること。
  6、体育に関する資材を、研究調査し、需給あっせんすること。
  7、県、郡体育協会の実施する、諸施策に協力すること。
  8、県、郡体育祭への、出場選手の選出に関すること。
  9、その他、この会の目的達成に必要なこと。

二、身延町文化協会

(一) 沿革
 昭和40年11月結成
 事務所を身延町教育委員会事務局内におく。
 昭和41年12月第1回文化祭開催
 昭和42年11月第2回文化祭開催
 昭和43年11月第3回文化祭開催
(二) 目的
 町の文化向上に寄与し、その発展を図ることを目的とする。
 
 
(三) 事業
 1、町内の文化グループの育成相互連絡協調
 2、文化的行事の開催および協力
 3、部活動の育成と指導開発
 4、その他必要と認めた事項
(四) 部組織 (12部)
 文学、書道、写真、演劇、舞踊、音楽、読書、華道、郷土研究、囲碁、園芸、美術
(五) 役員
会長   池上正        
副会長   遠藤重利   深沢徹   鈴木富治
    鮎川太郎        
理事   秋山智孝   市川清   鈴木俊夫
    遠藤能明   種部かつ   藤間法素娥
    大沢園絹   佐野晁市   山内椿房
    久保光明   穂坂熊男   堀一勇
   理事は部長を兼任している。
学識経験者  小山久    伊藤太    芦沢忠男
       粟冠義朝
(六) 活動 第3回文化祭の状況
 会期 3日 (11月22・3・4日)
名称 明治改元100年教育委員会制度20周年記念身延町総合文化祭
主催 身延町文化協会
協賛 身延町
 身延町教育委員会
 身延町中央公民館、各公民館、南一連PTA、町内小中学校
 婦人青年団体、幼稚園、保育園
 その他町内各文化教育団体
行事
1、文化展 文芸作品・俳句・短歌・詩・川柳・絵画・写真・書道・盆栽・生花・手芸品
2、郷土研究座談会 町誌編さん資料を中心に
3、茶会 屋内と屋外で
4、囲碁大会 対局と段級認定
5、音楽発表会 町内小中学校、身延高校、町内箏曲団体、その他
6、舞踊発表会 町内婦人会、町内舞踊団体
7、講演会 講師 NHK 青木一雄アナウンサー
       「すばらしい人間関係をつくる話し方」
8、文化教育功労者の表彰(教育委員会)
氏名   事績
笠井美充   俳句の普及発達に尽力
市川清   書道指導に永年尽力
若尾栄一郎   書道指導に永年尽力
粟冠義朝   社会教育委員として永年勤続
坂上きく   公民館用務員として永年勤務
山内椿房   歯科校医として永年勤務
望月惟臣   校医として永年勤務
佐藤あつ子   看護婦として永年勤務
薬科うめ子   学校用務員として永年勤務
久保つたゑ   学校用務員として永年勤務
9、民俗 教育資料展
  民俗関係、町誌編さん資料その他
  教育関係、寺子屋教育以降の資料
10、文化財保護運動
    11月を文化月間として展開

三、身延町柔剣道連盟

(一) 沿革
 昭和24年柔道愛好者の会設立
 昭和27年下山村柔剣道連盟設立
 昭和28年身延町柔剣道連盟設立
 昭和30年町村合併により、旧身延町柔剣道連盟は発展的解消をなし、身延町柔剣道連盟となる。
 歴代会長
小笠原清保  一宮市松  鴨狩広  望月孝三
(二) 目的
 本連盟は、柔剣道の健全な発達を図るとともに、会員相互の心身鍛錬並に親睦を図り、もって文化国家日本の進展に寄与するものとす。
(三) 事業
  1、試合大会等の開催並に後援
  2、講習会、講演会等の開催並に後援
  3、柔剣道に関する調査研究
  4、その他必要と認められる事業

四、身延町野球連盟

(一) 沿革
 昭和38年6月1日結成
 昭和42年度郡体育祭並びに県体育祭に優勝
(二) 目的および事業 (規約抜粋)
第二条 本連盟は野球を通じ相互の融和親睦を図り、且つ社会スポーツの繁栄に貢献し、また地域社会のあらゆる部面の健全なる発展を図る。
  1、町内各種の野球大会の主催および後援
  2、郡県大会への参加
  3、その他本連盟の目的達成に必要な事項
(三) 役員
会長   佐野一男        
副会長   鴨狩富治   池上正   稲葉詣雄
    永谷昭典        
会計   依田光弥        
事務局   近藤文朗   望月国男   佐野晁市
常任理事   深沢市郎   藤田学   佐野茂
    伊藤徳一   佐野正司   北川惣七
    鴨狩昭司   松木均   望月邦彦
理事   池上博三   三上雅   田中一一
    近藤義郎   深沢克司   松尾崇
    小林達夫   望月竜美   望月秀哉
    柿島洋美   井上幸宏   渡辺一夫
    長田明   山本寛   跡部広
    粟冠卓   大野武雄   宮沢喜久雄
顧問   中里日応   望月栄   近藤宇佐美
    林是幹   深沢忠雄   鴨狩広
    一宮市松   赤塚三郎   鈴木正巳
    望月吾録   鴨狩庸雄   松木栄
    仙洞田順次郎        

五、南巨摩郡南部第一連合PTA

(一) 沿革
 敗戦後各学校の後援会が解消して、PTAが結成された。
 当時南巨摩郡教育会の南部支会内の各PTAが南部連合PTAを結成した。
 町村合併後南部支会は、運営上二分して、南部第一支会と、南部第二支会になった。
 昭和30年5月南部連合PTAも二分して、南部第一連合PTA、南部第二連合PTAとなって今日に至っている。
 歴代会長
昭和30年度   佐野一男
昭和31年度   佐野為雄
昭和32年度   鮎川太郎
昭和33年度   柿島武文
昭和34年度   片田豊
昭和35年度   片田為丸
昭和36年度   熊谷儀信
昭和37年度   井出逸平
昭和38年度   川村藤十郎
昭和39年度   芦沢助春
昭和40年度   沢村清一
昭和41年度   鈴木富治
昭和42年度   小笠原英雄
昭和43年度   深沢徹
昭和44年度   広島慶明
(二) 目的と事業 (会則抜粋)
第三条 本会は支会内PTAの連(けい)を図り、その教育文化の振興に寄与するをもって目的とする。
第四条 本会は前条の目的を達成するために、次の事業を行なう。
1、講演会・講習会・座談会等の開催
2、生徒児童の福祉厚生、保健衛生等の研究調査発表、展示会等の開設推進
3、教育映画会・幻灯会・紙芝居・童話会・音楽会・運動会等の推進斡(あっ)旋
4、その他本会の目的達成に必要なこと。
 昭和43年度の事業
 1、南一連PTA研究会の開催
  町内4地区小中PTAが、1年間研究した四つのテーマを中心として、正会員150名による4分科会の研究会を開催した。
  全体会の結論として
 イ、通学の安全のため歩道、歩道橋、通学路の整備、登校方法の改善につとめる。
 ロ、学校養護教諭、事務職員、栄養士の完全配置を図る。
 ハ、親子ぐるみ体力づくりにつとめる。
2、町教委主催の子供クラブ幹部講習会に参加(身延小学校において開催参加者七十名)
3、町議会に請願
 イ、養護教諭、事務職員の増員、完全配置
 ロ、教員宿直の全廃
 右2件連Pとして請願、9月議会で満場一致採択された。父母負担軽減につき協議し、教材費、図書費等の引下げを申し合わせた。
4、郡連Pの活動に参加、町民会議に参加

六、南巨摩郡連合PTA

 昭和44年度の郡連合PTA会長に本町より土橋隆四郎が選出され就任した。

七、和田、樋之上スポーツ少年団

(一)沿革
 昭和39年9月スポーツを通して、地区青少年の健全育成を目的として結成し、日本体育協会スポーツ少年団本部から団旗を授与された。
 昭和40年からスポーツ少年団全国大会に代表が参加している。
 昭和42年には、望月克博は県代表として実績発表をした。
 昭和44年第7回全国大会には、参加者を代表して雨宮正樹が開会式に宣誓をした。なお旗手2名も出ている。
(二)現況
団員  12歳から18歳までの男子19名
活動  平素はリーダーによって各種球技その他を実施しているが、キャンプ・登山等夏季の野外活動は特に重視している。また年2回公認判定員立合の上で、スポーツテストを実施している。
経費  月額中学生20円、高校生30円を徴収、ほかに町体協から年額5,000円程度の助成を得ている。
指導員 熊谷明治 望月克博
付   なお町内にはほかに大島スポーツ少年団がある。

八、身延盆栽会

沿革  昭和41年11月盆栽をはじめ、広く園芸を趣味とする会員約20名をもって結成、その後次第に発展し現在は30余名になっている。
 会長 初代 望月善長
    2代 篠原儀太郎
事業  各種盆栽を町文化祭へ出品。
 公共施設へ菊花の展示。
 毎月1回例会開催し諸研究、作品、種苗等の交換等実施。
 春秋2季には先進地の視察。
 今後は同好者の増加をはかり、花いっぱい運動をも展開し、身延町の観光面にも役立たせたい。

九、豊岡園芸サークル

沿革  会員八十余名をもって昭和44年9月結成、サークル長 遠藤美章
規約   第1条(目的)園芸を愛好し、趣味と実益につながる研究をする。
    第2条(組織)豊岡公民館産業部の一環として、各分館ごとに支部を置く。
    第3条(事業)研究会・講習会・講演会・先進地視察・展示会・種苗交換等その他必要のこと。
    第4条(役員)このサークルに長1名、各支部に支部長1名を置き、任期は2ヵ年とする。サークル長は各支部長が選任する。
    第5条(会議)総会および役員会とし、必要に応じ公民館長が招集する。
    第6条 その他運営上必要が生じたときは、役員会において決める。
付則  この規約は、昭和44年4月1日より行なう。
産業  盆栽植木班・花卉園芸班に別れ、第3条により地域に即した事業をする。

十、身延白妙会

 昭和初年より加藤正男(角打)、佐野治郎(上八木沢)らを中心として、小倉百人一首のかるた競技を楽しむ同好者の会「身延白妙会」が作られ、途中戦争による中断もあったが、今日まで伝統ある教養と趣味の団体として県大会にも何回か優勝し、全国的にも名高い存在である。
 特に加藤基道(角打)は昭和30年度全国大会第3位、31年度は優勝して日本チャンピオンとなったほどの名人で、現在も県下の同好者の指導にあたっている。