第六節 舞踊
ヨネヤマママコ
東京教育大学体育学部の出身で、昭和30年に「雪の夜に猫を捨てる」の創作で舞踊界にデビューし、昭和31年金田一京助のアイヌ民謡ユーカラの「ハンチキキ」四幕の大作を成、昭和34年NHKの「私はパック」で一般に知られ、昭和37年渡米、昭和42年自作自演の短編映画を完成、各大学にパントマイムを教える。
コマーシャルにも出演し米人に知られている。
藤間法素娥(望月房江)
藤間新流の宗家藤間観素娥の直弟子で本県舞踊界の名手として、多くの人々を指導しており、門下生は100名を越え、身延町波木井に研究所を開設している。同師の振り付けに身延山関係の歌として次のような代表作がある。
○ああ日蓮 (作詞、藤間哲郎、作曲、桜田誠一)
○太鼓音頭 (作詞、作曲ともにああ日蓮に同じ)
○身延山讃歌 (作詞、細井鶴郎、作曲、平川英夫)
○七面山奉讃歌(作詞、星野一俊、作曲、小西潤)
○お題目音頭 (作詞、藤井日静、作曲、名木秀夫)
一門弟子中に名取8名をかぞえ、町内には藤間繁素娥(望月亜子)藤間延素娥(佐藤妙子)藤間晶素娥(深沢初江)藤間博素娥(諏訪博子)が在住している。
身延山藤間会
藤間勘妙己を三島市より招いて、昭和37年4月に発足東谷覚林坊を会場として、毎月1週間連続して藤間流日本舞踊を修業している。同好者は15名で年1回発表会を開いている。
本町出身の芸能人
若尾文子(昭和8年11月8日生)
第二次世界大戦中は母とともに父の郷里清子へ疎開した。
後大映の女優となったが、疎開当時通学した清子分校を忘れないで図書や羽子板を贈ったことがある。身延山で結婚式を挙げたことは有名である。ホワイトブロンズ賞、日本映画記者会賞、NHK映画賞、ブルーリボン賞、キネマ旬報賞、日本映画の主演女優賞等を受賞している。
  
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