第五章 ロータリークラブとライオンズクラブについて

第一節 身延ロータリークラブ

 国際ロータリーの起りは、今から64年前の1905年に、アメリカのシカゴで、青年弁護士ポール・P・ハリスが、その当時経済恐慌で、人心の荒れすさんでいた社会状態を憂え、「奉仕の精神によって、人の和をはかることこそ、より良い社会をつくりだす道である」と考え、3人の友人と語らって2月23日、この理想を広く人々に呼びかけようと、第1回の会合を開いたのが、ロータリークラブの誕生である。
 ロータリーとは、最初会員が持ち回りで順番に、集会を各自の事務所で開いたことから名付けられたもので、この理想は着実に成長し、現在146の国家および地域に広められ、クラブ数13,800、会員数653,000余名に達し、更に大きな発展が期待されている。
 日本では大正9年(1920)10月20日に、当時三井銀行の重役であった米山梅吉がシカゴの中央事務局から委任され、初めて東京にこれを創立し、翌10年4月1日に世界で355番目のクラブとして加盟承認された。
 その後、第2次世界大戦の結果、一時国際ロータリーから脱退するのやむなきに至ったこともあるが、戦後復帰するや、ますます発展し、現在国内では910クラブ、44,000余名の会員が各地に存在している。
 会員は地域内の理想にもえる堅実な専門職業人、実業家の中から定款によって選ばれ、週1回のクラブ例会出席によって、各種職域人の交友を通じ、地域社会への奉仕の機会を得ようとはかっている。
 ロータリーでは社会生活における人間の幸福は、他人への思いやりと助け合いにあると考え、(1)国際奉仕、(2)社会奉仕、(3)職業奉仕、(4)クラブ奉仕の四部門を設け、各自の職業を通じて、「奉仕の理想」を推進することを目的としているものである。
 身延ロータリークラブは、こうした目的理想のもとに、昭和40年(1965)10月7日、甲府ロータリークラブをスポンサークラブとして発足し、翌11月26日をもって、国際ロータリーに正式加盟認証された。山梨県下では9番目のクラブとして、事務所を山梨中央銀行身延支店に置き、例会場も同支店の3階会議室で、毎週木曜日の12時30分から1時30分まで、1時間にわたって会員一同昼食を共にしながら、例会を催している。
 翌41年の6月16日に、身延中央公民館で、全国のロータリークラブから500余人のロータリアンおよび来賓等を迎えて、盛大な「国際ロータリー加盟認証状伝達式」を挙行し、それ以来「宗教都市身延」としての特色を活かしたクラブとして、今日におよんでいる。近く創立5周年記念のつどいを催すべく計画されている。
 この間の主な事業としては、町内小中学校の給食担当栄養士の表彰、優良警察官、交通指導員、優良従業員等の表彰などを始めとして、町内全域にわたり、歩行者のための道路標柱19ヵ所設置、或は身延小学校に「ともだち基金」を、また身延仲町区にも基金をそれぞれ贈呈、更に毎年新入学児童に対してプレゼント等を実施してきている。
 こうした地域的奉仕は、その一例であるが、ロータリーとしては、本来「各会員がそれぞれの職業を通して」奉仕することを強調しているため、当クラブでもその精神に従って、職業を通じての奉仕に会員各自が勤めている。
 国際奉仕としては、身延山へ海外から来た留学僧や信徒、留学生などの援助激励を始めとして、奨学資金(米山記念奨学会)万国博協力資金、東南アジア低開発国への農業開発計画推進のための資金、ブラジルへ日本語書籍を送るための資金等その他をそれぞれ援助分担して来ている。
 国際ロータリーでは、山梨・静岡・神奈川県の3県を1ブロックとして、国際ロータリー第359地区と称しており、この地区の責任者をガバナーと呼んでいる。現在のガバナーは上野泰(横浜東ロータリークラブ)であり、身延ロータリークラブの会長以下役員は次の通りである。
 身延ロータリークラブ役員氏名
会長   望月民部
副会長   河井昭久
幹事   上田本昌
副幹事   遠藤譲一
会計   山本太三男
SAA   遠藤能明
理事 (前会長)   佐野一男
理事 (職業奉仕担当)   河住孝太郎
理事 (社会奉仕担当)   野村宇吉
理事 (国際奉仕担当)   堀一勇
理事 (クラブ奉仕担当)   河井昭久
会員選考委員長   高橋公男
会員推薦委員長   野村宇吉
職業分類委員長   深沢市郎
親睦委員長   遠藤能明
財団委員長   林是幹
広報委員長   保坂博
会報委員長   長谷川義浩
プログラム委員長   米山源治郎
出席奨励委員長   河住孝太郎
情報委員長   佐野一男
 歴代会長        (任期)
初代   林是幹   (昭和40年—41年)
2代   林是幹   (昭和41年—42年)
3代   高橋公男   (昭和42年—43年)
4代   佐野一男   (昭和43年—44年)
5代   望月民部   (昭和44年—  )
 名誉会員
藤井日静   (身延山法主)
望月日雄   (身延山総務)
 身延ロータリークラブ会員氏名(50音順)
上田本昌   (上沢寺住職)
遠藤能明   (梅屋旅館専務)
遠藤譲一   (梅屋売店専務)
河西正   (河西呉服店主)
河住孝太郎   (天洋堂薬局店主)
河井昭久   (田中屋旅館重役)
佐野一男   (佐野医院院長)
高橋公男   (高橋医院院長)
高梨勲   (身延生花店主)
高見沢一乙   (高見沢商店主)
千須和芳郎   (身延電波店主)
野村宇吉   (野村理髪店主)
林是幹   (身延山大学教授)
長谷川義浩   (身延山大学図書館)
堀一勇   (身延山高等学校教諭)
保坂博   (身延工業社長)
望月民部   (望月歯科医院院長)
山本太三男   (山梨中央銀行身延支店長)
米山源治郎   (平多屋店主)
深沢市郎   (玉屋旅館重役)
若宮篤義   (玉屋支店主)
 クラブ例会の行事としては、そのつど、他クラブの会員や地元の名士等を招いて、卓話を聞いたり、社会奉仕に貢献した人々を招待して、その労をねぎらうことにしている。
 特に社会で一般に目立たぬ立場にありながら、たえず奉仕に努力しているような人々を招待し、慰労激励につとめるようにしている。
 また、毎月1回「ロータリーの友」という機関誌を通して、ロータリー精神の涵養に資し、会員相互の親睦修養につとめている。
 更に会員だけでなく、その家族にもロータリーの趣旨をわかつ意味から、家族会がしばしば催されている。
 特に44年度には、身延クラブが主催となって山梨県下全クラブの大会を、身延山大学を会場として開催することになっている。
 また、「身延ロータリー週報」を毎週発行し、すでに150号を越えている。