第三節、治安の機関(町内派出所、駐在所の沿革)

 駐在所派出所の制度が敷かれたのは明治20年(1887)である。これによって従来の勤務方法は根本的に改革され現在の内外勤制となった。各地区駐在所の沿革は次の通りである。

一、下山警察官駐在所

 下山駐在所は明治20年(1887)1月設置され、当時は福居村巡査派出所と称し旧下山一円を管轄し、明治29年(1896)3月7日下山村と改称するにあたり、下山巡査駐在所と改称して、下山・粟倉・小原島・上下八木沢部落を管轄した。明治23年7月11日南巨摩郡下山村下山2379番地に、敷地122平方メートル木造平屋建60平方メートルの駐在所を改築移転し、その後明治34年5月と明治42年(1909)7月の2回にわたり改築並びに修理増築を行ない、昭和39年11月8日総工費119万円の県費をもって身延町下山8,886番地に新築移転し、昭和44年4月1日下山警察官駐在所と改称し現在にいたっている。

二、身延山警察官駐在所

 身延山駐在所は現在身延町身延3657番地(久遠寺三門前)にあり、明治22年(1889)3月身延町仲町に身延駐在所として発足している。その管轄区域は、旧身延町大野部落を除き身延町一円であったが、その後日蓮宗総本山久遠寺の全国、信者の参詣者が多くなったため、大正元年(1912)1月20日現在地に木造2階建83平方メートルの駐在所を建設し移転した。管轄区域は、本山・東谷・西谷・清住町・上町・仲町・橘町・元町の門内地区とし、昭和36年4月身延山駐在所と改称され現在にいたっている。この間自治体警察の設置により、昭和23年2月1日より、26年10月5日まで、身延町警察署に編入されていた。昭和44年4月1日身延山警察官駐在所と改称した。

三、身延幹部警察官派出所

 身延地域の発展に伴い、治安維持上、大正8年(1919)4月1日大野799番地の民家を借用し、南部警察署身延部長派出所を新設した。しかし、同年12月受持区域内有志の寄付金により、大野113番地に新庁舎を建設しここに移転した。
 昭和8年(1933)1月16日警察事務の遂行上、町の中心にある梅平651番地に移転したが、昭和23年3月新警察法の施行により、身延町にも自治警察署が設けられたので、同年3月7日巡査部長派出所は廃止された。しかし、昭和26年9月30日身延町警察署の廃止により、再び町警に代る派出所が必要となり、同年10月1日町警庁舎をそのまま身延警部補派出所とした。下山駐在所・身延駐在所・梅平駐在所・豊岡駐在所・角打駐在所・帯金駐在所を管轄したが、昭和28年巡査部長派出所に改称された。昭和39年4月帯金駐在所は廃止になり身延駅前駐在所の兼務となった。また、昭和43年4月1日豊岡駐在所は廃止された。昭和40年機構改革により身延幹部派出所と改称、昭和42年7月身延町所有の現在地に県費をもって庁舎新築工事に着工し、同年11月15日落成、昭和44年4月1日身延幹部警察官派出所と改称し現在に至っている。

 幹部派出所歴代受持担当者
赴任年月日 氏   名 官 名
1
昭26.10. 1 関戸彦種 警部補
2
昭27. 4. 1 古屋光国 警部補
3
昭不詳 川口盛治 部長
4
昭31.10.14 橋本稔 部長
5
昭33. 7.19 宇治甲子春 部長
6
昭36. 3. 8 内田勇一 部長
7
昭38.10. 1 加賀美忠 部長
8
昭39. 3.21 土屋宣夫 部長
9
昭42. 3.26 遠藤勇 部長
10
昭43. 3.26 佐野孝 部長

四、豊岡巡査駐在所

 明治23年(1890)5月設置されたが、駐在所は民家を借用し、転々と移転して警備にあたっていた。大正13年(1924)2月10日豊岡村相又405番地に敷地116平方メートル、建坪66平方メートルの木造平屋建の駐在所を新築し、旧豊岡村を管轄したが、昭和43年4月1日の機構改革に伴い、豊岡駐在所は廃止され、身延幹部警察官派出所の第二区となった。

五、身延駅前警察官駐在所

 南部警察署管下の旧大河内村は明治16年(1883)より27年まで、一時市川警察署の管轄に属したが再び南部署に属した。明治23年(1890)1月より、旧西八代郡大河内村帯金に駐在所をおき大河内巡査駐在所と称し、旧大河内全般を受け持ち区域として警備にあたったが、明治40年(1907)8月駐在所を角打に移した。
 その後富士身延鉄道敷設工事にともない、多くの土工、人夫等が入って来たのでこれ等の取締まり上、大正6年地元村長以下が本署に陳情し、現在の身延町角打596番地の鉄道用地を当時の大河内村長名で借用し、木造2階建118.8平方メートル瓦ぶきの建物を建設しここに移転し、昭和44年2月改築し現在にいたっている。大正6年(1917)移転してから角打駐在所となり、昭和37年4月1日、身延駅前駐在所と改名された。角打駐在所当時の昭和29年3月7日までは、管轄も当時の大河内村角打・和田・大島・樋之上、および身延町大野部落も含まれていたが、その後身延町が自治体警察署になったので、大野部落は管轄区域外となり、町警廃止後も梅平駐在所の管轄となった。昭和39年4月、帯金駐在所が廃止になったので、その管轄区域を兼務することとなった。昭和44年4月1日身延駅前警察官駐在所と改称する。

六、帯金巡査駐在所

 はじめ大河内巡査駐在所として帯金にあって、大河内村(当時)全般を受け持ち区域としてきたが、大河内村が延長8キロメートルもあり、しかも交通不便で有事の際警備極めて困難なため、明治40年8月駐在所を角打に移し、大正6年再び身延町帯金1505ノ1番地に49.58平方メートル(国有)、49.58平方メートル(民有)を借用し、木造99.17平方メートルの建物を建設し帯金駐在所として発足した。丸滝・大崩・椿草里・帯金・大垈・塩之沢・上下八木沢部落を受け持ち区域とし警備に当たったが、昭和39年4月1日で上・下八木沢部落は下山駐在所管轄に移管になり、同時に帯金駐在は廃止、身延駅前駐在所の兼務となった。

七、林野警察巡査出張所

 明治43年(1910)南部警察署内に林野巡査が配置され、旧大河内村塩ノ沢林野巡査出張所が置かれた。出張所は同地内の民家を借用し地域の取締まりに当たったが、翌44年4月同村大島1091番地の民家を借用移転した。また同年豊岡村にも林野巡査出張所が置かれ、民家を借用し地域の取締まりに当たったが、大正8年(1919)豊岡出張所を身延山三門内定林坊前に移転し、身延林野警察巡査出張所と改称した。昭和8年(1933)4月大島林野巡査出張所は廃止され、身延林野警察巡査出張所に統合されたが、昭和21年永年の林野警察制度は廃止された。