第六節 明治以後の身延山

一、概説

 明治初年内外多端の間、73世日薩上人、74世日鑑上人、75世日修上人相続いて入山され山務に尽粋された。しかも明治初年の政治改革に伴って仏教界に加えられた圧制に対して、管長として日薩上人は、山外にあって、日蓮宗ばかりでなく、全仏教界興隆の大志をいだいて各宗派と協調、日夜努力された。なお日鑑上人は日薩上人の院代を勤め、護法愛宗の真心を吐露して山勢発展に努力された。こうして宗門内外多事多端の間にもかかわらず、山色日々に進展した。
 国運の進展に伴って、身延山もまた新時代に対応すべく、山規改正、教学の充実、経営基盤の確立、また諸堂宇の営繕等に努め、年とともに発展して大正時代に至った。
 身延山にも次第に近代的施設がなされた。大正元年(1912)富士身延鉄道が企画され、大正9年5月富士身延間に汽車が、昭和3年(1928)3月には身延、甲府間に電車が開通し、参詣は非常に便利となった。また大正2年には電灯が点じ、同14年には特設電話の開通をみ、同年従来の馬車や人力車に代って身延駅−三門間にバスが運転されるなど通信運輸に大なる変革が行なわれた。去る昭和38年8月にはロープウェイが開通した。
 明治末より大正にかけて、異体同心、皆帰妙法の祖訓を実践しようとする意図から、日蓮門下各派教団の統合ということが論ぜられるに至ったが、たまたま大正11年10月13日、宗祖に対し「立正大師」号が宣下されるにいたり、統合気運は一層促進された。
 昭和6年(1931)は日蓮聖人六五〇遠忌に際会、この報恩記念事業としてかねて第81世日布上人発願の仏殿納牌堂は、昭和3年5月起工以来3ヵ年を経て、6年4月竣工し新たに久遠寺に一偉容を加えた。しかしながら杉田法主は完成を目前にしてその前年12月7日名古屋布教途上病んで寂し(76歳)翌年正月25日酒井日慎管長大導師の下に本葬儀が、新築仏殿納牌堂で挙行された。
 御遠忌法会は4月より前後4回、39日間奉行され、並びに各種記念行事が盛大感銘裡に虔(けん)修されたが、なかんずく10月13日御入滅正当日を期して、今上陛下より「立正」の勅額が祖廟に下賜され、82世日帰上人が参内これを拝受した。
 昭和7年(1932)3月、望月日謙上人83世に晋山されるとともに、祖廟備整会、祖廟奉仕会が結成され、祖廟聖域は大いに整備された。昭和14年4月には西谷に信行道場が完成し、昭和16年3月には、日謙上人、顕本法華宗井村日成上人、本門宗由比日光上人が中心となって、三派合同が実現し、今日の日蓮宗が生まれた。
 昭和18年9月、日謙上人御遷化、同年10月深見日円上人84世に就任された。上人は終戦直後、よく困難を克服し、老躯を省みず、布教、興学に尽粋された。
 昭和24年には、永年の懸案であった、宗祖御得度の霊場清澄山が改宗本宗に転じ、同27年には立教開宗700年の慶祝行事が全宗門を挙げて奉行された。身延山においては、三期の大法要、諸堂宇の整備、教育施設の拡充などに努めたが、中でも日蓮聖人御遺文の集大成として「昭和定本遺文」4巻の刊行は特筆すべき記念事業であった。
 昭和32年2月、第84世深見上人は89歳にて遷化、2月増田日遠上人85世を継承、大いに祖廟整備に努め、翌33年10月に壮大な常経殿が竣工した。けれども翌34年夏、再度の台風により祖廟域はもちろん全山にわたり大被害を受け、日遠上人日夜の労苦に不幸病を得て同年7月退山され、藤井日静上人が7月24日第86世の法灯を継いで入山した。上人は第83世日謙上人のお弟子であり、師匠の遺志をを体して山内を督し身延山の興隆、発展に精進されている。42年10月には永年の宿願たる、身延山大学の大講堂および校舎の大建築が完成した。
 以前は全国および海外にわたり約600の末寺と多数の教会や布教所が、久遠寺門末として所属していたが、前述の三派合同が行なわれて、宗門規則改正の結果本末関係は解かれた。しかし宗祖栖神の地身延は全門下の信仰の中心地として衆心帰一の霊地であり、宗門規則の上からは「祖山」と呼ばれている。
 諮問護持の機関には、参与会、祖山会および常置会が置かれ、信徒団体には「身延山本願人会」「身延会」その他歴史の深い有力な講社や信徒が多数あって久遠寺の護持発展に勤めている。
 久遠寺には、総務・教学・庶務・布教・法要・経理・参拝等の各部その他が設けられそれぞれ事務を分担処理している。
 また遠く400年の昔に、第14世日鏡上人が創立、第22世日遠上人により発展した西谷檀林という教育道場は、現在の身延山短期大学、身延山高等学校として、次代の宗門を担当する僧徒の育成に努めている。
 久遠寺の諸堂宇、各参道の諸堂、境内の案内等に関しては既に詳細な案内書、手引が多数刊行されているので本項には省略する。
久遠寺歴代出身関係
世寿           在職年数
    開山 宗祖大聖人      
62    2世   日向   26   宗祖直弟
76    3世   日進   17   宗祖直弟
未詳    4世   日善    3    
46    5世   日台   35   波木井実長の孫長氏の2男4世の弟子
62    6世   日院    8   波木井実長の孫長氏の3男3世の弟子
83    7世   日叡   28   院上の俗弟か3世の弟子
未詳    8世   日億   23   7世の弟子
未詳    9世   日学   38   億師の俗弟7世の弟子
68    10世   日延    3   8世の弟子
79    11世   日朝   40   三島日出の弟子、日出は学師の弟子9世の孫弟子
未詳    12世   日意   20   11世の弟子
67    13世   日伝   25   10世の弟子
53    14世   日鏡   13   12世の弟子
55    15世   日叙   21   13世の弟子
76    16世   日整    2   13世の弟子
58    17世   日新   15   初め13世の弟子後14世の弟子
41    18世   日賢    8   17世の弟子
40    19世   日道    3   18世の弟子
75    廿世   日重   加歴   光山南泉房の弟子
76    廿一世   日乾   初2後6 初め若州小浜長源寺日欽の弟子後ち重師の弟子
71    廿二世   日遠   初5後2 20世の弟子
49    廿三世   日祝    2   22世の弟子
48    廿四世   日要    8   22世の弟子
54    廿五世   日深    5   初め日明の弟子後ち21世の弟子
63    廿六世   日暹   22   22世の学門の徒
58    廿七世   日境   12   玉沢日達の弟子
67    廿八世   日奠    8   初め22世の弟子後中正日護の弟子
73    廿九世   日莚    6   中正日日護の弟子
66    卅世   日通    8   京の本隆寺の弟子飯高松和田谷の祖
73    卅一世   日脱   20   飯高中台谷出身祖山晋山の初め、弟子日湛をして院代とす初めてなり
85    卅二世   日省    7   水戸庠より祖山へ
76    卅三世   日亨   10   飯高第25代講主
75    卅四世   日裕   20   飯高能化33世の弟子
58    卅五世   日竟    3   飯高講師後33世の弟子
75    卅六世   日潮    9   草山日灯の弟子飯高
67    卅七世   日寛    5   36世の弟子飯高
73    卅八世   日答   60日   31世の弟子飯高61世
83    卅九世   日総   80日   飯高54世
64    40世   日輪    4   飯高86世
77    41世   日妙    4   飯高66世
80    42世   日辰    5   中台松和田順次交替晋山となる
77    43世   日見    5   飯高松和田98世
59    44世   日宝    2   飯高115世
79    45世   日応    5   上同108世
74    46世      1   同113世
74    47世   日豊    7   同126世
81    46世   日源    8   同124世
90    49世   日地    5   同136世
81    50世   日沽    1   同153世
83    51世   日全    5   同166世
75    52世   日盛    3   同192世
84    53世   日奏    9   同187世
81    54世   日審    3   同203世
91    55世   日逞    9   同222世
72    56世   日晴    2   同234世
74    57世   日舜    1   同232世
83    58世   日環    5   同238世
71    59世      3   同240世
80    60世   日潤    4   同255世
75    61世   日心    5   同256世
72    62世   日扇    3   同278世
77    63世   日闡    3   同262世
73    64世   日仲    2   同282世
77    65世   日桂    1   同277世
77    66世   日薪    8   同289世
79    67世   日楹    5   同298世
83    68世   日実    3   同292世
80    69世   日琢    5   同302世
86    70世   日祥    7   明治 飯高講師
81    71世   日祷    2   飯高327世
82    72世   日健    4   飯高320世
59    73世   日薩    3   飯高充洽園
60    74世   日鑑   11   (御代理3年)飯高充洽園
69    75世   日修    6            充洽園
58    76世   日阜    1            充洽園
51    77世   日厳    5   玉沢
64    78世   日良   12   飯高 大教院
83    79世   日慈   15   中村 日薩 大学林長 宗務総監
87    80世   日調    2   宗務総監
76    81世   日布    7   大教院 大学長 宗務総監
68    82世   日帰    1   宗務総監
79    83世   日謙   12   大学長 宗務総監
89    84世   日円   14   身延山常置会議長 日蓮宗財務部長
     85世   日遠    2   昭和34年7月23日退山
     86世   日静       昭和34年7月24日入山