第三章 寺院

第一節 寺院の由来

一、下山地区

(一)日蓮宗寺院
  1 寂遠山 一円寺
 早川に沿った小原島にあり、創立は延宝7年(1679)2月と伝えられている。開基は玄収院日誦、開山は寂遠院日通上人であり、寺宝として日蓮聖人御直作と伝えられる大黒天を安置している。旧身延山久遠寺末。

  2 遠藤山 宗光寺
 下粟倉にあって、開創は元和元年(1615)正月1日と伝えられている。開基は「甲斐国誌」によると、遠藤勘解由左衛門尉宗重(元和6年12月4日卒)とあり、また開山は善行僧都であるといわれている。旧身延山久遠寺末。

  3 正運坊
 上粟倉にあって、創立は寛文11年(1671)という記録が残っている。開基は明定院日順、開山は正運坊であって、現在寺歴は詳らかでない。旧身延林蔵坊末。

  4 法喜山 上沢寺
 文永11年(1274)初夏、日蓮聖人が身延へ入山なされた当時、上沢寺は真言宗であった。その時の住職法喜阿闍梨は、小室山の善知法印とともに大聖人と法論を行ない、敗れたことを怨(うら)んで、毒餅を作り聖人を亡き者にしようとしたが、白犬が現われて聖人の身代わりとなった。
 法喜と善知の両名はこのことで、聖人の威徳と法華経の利生を悟り、改宗して聖人の直弟子となり、法喜は日受の名を賜わった。日受は身代わりとなった白犬を境内に葬り、聖人もまた身延入山の時から手にして来られた銀杏の杖を墓印に塚の上に建て、白犬供養の塔婆を記された。現在その塔婆は身延山宝物館に依託保存されているが、不思議にも銀杏の杖は発芽して、大樹となり茂って今日におよんでいる。
 この銀杏の樹は、古来「毒消銀杏」とも「お葉つき、さかさ銀杏」とも称されており、日蓮宗における毒消根本霊場として知られている。本尊のほかに「法華経行者守護の白犬天神」および「出世稲荷大善神」等その他の諸尊が祀られている。旧身延山久遠寺末。
 現住職は、第47世の上田本昌である。
  5 長栄山 本国寺
 下山本町に在り、開山は最蓮房日浄上人であって、開基は邑主下山兵庫介光基である。その一子次郎は入道し、後に因幡房日永と称したが、比叡山修学のみぎり最蓮房と旧知であったとも伝えられている。
 初め文応2年(1260)に光基は館の傍に一宇を創し平泉寺と称して、弥陀を安置したが、文永12年(1275)の春に最蓮房上人が身延山へ参る途次、この館に一泊し、因幡房もともに身延山へ登った。ここにおいて弥陀を離れ法華に帰したが、父光基はこれに従わなかった。建治3年(1277)6月日蓮聖人は「下山御消息」を著わして光基に寄せられた。これにより日蓮聖人の門下となって法重房日芳の名を賜わり、山・寺両号を現称に改めた。
 弘安5年(1282)9月8日、日蓮聖人は池上へ向う途中当寺に一泊され、銀杏の樹を植えられた。「お葉つき銀杏」として現在茂っている。また、最蓮房放生修法の旧地たる「祈祷田螺が池」も伝わっている。開山日浄上人は後に下山御所平へ実行山本因寺を建て、さらに穴山梅雪は当寺を寺尾に移し西林房と呼んだとも伝えられている。天正7年(1579)3月本因寺を当寺に合して、現地に復帰した。境内に穴山梅雪の祀った穴山八幡があり、下山地区各部落交代で毎年8月17日盛大な祭典が執行され、奉納大相撲が催されている。
 現住職は、第51世秋山智孝である。旧身延山久遠寺末
  6 正喜山 常福寺
 下山の荒町に在り、当初は真言宗であったが、その頃のことは今詳(つまびらか)でない。開山日乗上人は、真言宗の僧で浄蓮房と号していたが、後に改宗して、身延山13代日伝上人に師事し、日蓮宗の教義を学び、日乗の名を賜わった。
 天文5年(1535)檀越と謀り、当時荒町東にあった堂宇を現在の地に移転し、以来法灯相伝えて現に第27代を佐野智源が継承している。
 なお、同寺に本尊のほかに俗称「杵地蔵」と呼ばれる石仏を始め、開山日乗上人感得の大黒天尊像などが安置され、また境内には樹齢400年というお葉付き銀杏の樹がある。
 旧身延山久遠寺末。
  7 永応山 蓮華寺
 大工町にある蓮華寺は、元亀3年(1572)6月の創立と伝えられ、開山は蓮華坊日源上人である。昭和18年の大火に遭(あ)い、惜しくも堂宇悉く焼失する。現在の本堂は上沢寺境内の仏堂一宇をこの地に移転したものである。
 現住職は伊藤海豊である。旧身延山久遠寺末。

  8 法光山 妙見寺
 栗谷にある妙見寺は、文亀11年(1514)の創立と伝えられている。開山は学善坊日亮上人である。本尊のほかに北辰妙見大菩薩を祀り、近隣の信仰を集めたが、この寺も火災にあって堂宇を失い、現在檀信徒の協力で小堂が建てられている。
 現住職は日置依法である。旧身延大善坊末。

  9 円教坊
 杉山に在る円教坊は、宝永3年(1704)の創立で、開山は円教坊日真上人である。身延の麓に在って、往時は参道筋にあたり、栄えた寺であったという。
 現在井上竜温が代務住職をしている。旧身延山久遠寺末。