三、家紋

 わが国の特徴としての紋章は、古くから氏族、家、組などの標識として衣服、器物、武具に付けられて家紋と呼ばれるようになった。この紋章が家を表わし、苗字を形に現わしたと解釈される。
 家紋は、紋所、または単に紋ともいっているが、平安時代の末頃、公家が牛車につけたことから起っているといわれ、武家では、源平合戦の頃は源氏は白旗、平氏は赤旗を立てて標識とし、まだ共に一定の紋章を持たなかったが鎌倉時代頃から、幕の紋などから家紋の発生を見たものといわれている。
 家紋は、一旦定まると衣服、器物等に用いられるが、家門の繁栄に伴って分裂、合併が生じ、その形態もあるいは変改され、あるいは付加されてその数を加えることになった。
 また、家紋は本来特有の標識であるが、皇室・武家その他主家からの賜与、縁組・分家など、事由によって他家から譲り受けたり、交換したり、併用したりしてその数は増加する一方であった。
 室町時代を経て戦国時代には、紋章は敵味方を識別する重要な目標とされ、江戸時代にはいり太平の世となっても大名、旗本の識別を、この紋章によってすることが公務上も、社交上も必須の常識とされるようになった。
 しかし、江戸時代になると民間では、単に衣服、器物の装飾に使用する傾向となってしまった。
 天正年中より菊、桐の紋章の濫用を禁じられている。江戸時代になって徳川将軍家の家紋葵(あおい)紋に関する法令は、相当きびしく定められてあったが、菊、桐の紋章に関しては、ほとんど何等の制限がなかった。明治元年(1868)3月28日にと菊花紋の濫用を禁止されている。
 紋の種類は、千差万別で、一般に使用されているものでも約400種ほどあるといわれているが、この変形したものを加えると、約3,000にも及ぶ。表現されているものは植物が多く、動物、人工物、自然現象などもある。
 幾何学的なもの等でともえ、ひし、桐、つる、ふじ、松、矢などがある。
 最近、生活様式が変わり紋章をつけるような衣服、器物をあまり使わなくなってしまったためか、家紋は次第に忘れられていく傾向にある。
 この町の家紋の種別調査を試みたのであるが、前記苗字以上の数になり、正確を期し難いので、本町に最も多い望月、佐野の家紋について例示し、そのほかは省略したことをお断りしておく。

 表2 身延町内における望月、佐野についての家紋調査集計一覧表 (昭和44年1月調)
望月現在の戸籍384戸、明治初年戸籍193戸 佐野現在の戸籍272戸、明治初年戸籍185戸
家紋の種類 地区又は部落 家紋の種類 地区又は部落
丸に九曜星 下山地区
身延地区
豊岡地区
大河内地区
丸に梶の葉 下山地区
身延地区
豊岡地区
大河内地区
九曜星 下山地区
身延地区
豊岡地区
大河内地区
梶の葉 下山地区
身延地区(上町、橘町)
豊岡地区(横根)
大河内地区
梅鉢 丸滝 梅鉢 下山地区(荒町、新町、大工町、
仲町、本町)
九曜星 橘町、波木井
七曜星 身延山支院 さがり藤 元町、梅平
五三の桐 船原
六曜星 荒町 ちがい鷹の羽 丸滝、梅平、角打
まきづる 大庭
きょうぼく 大庭 ききょう 上沢
剣月羽 角打