二、民謡、新民謡

 民謡は、民衆の生活のうちからおのずから生まれた素朴な感情を表現した歌である。そうして、いつ、どこで、だれによって作られたか定(さだ)かでないのが特色である。しかし、民謡には作者がないのではなく、多くの場合作者がわからず、少なくとも作者は問題にされないのが普通である。
 それはおそらく、われわれの祖先の生活感情が、山川の自然とひびきあって、おのずから流露したものであろうし、それが郷土の人々の共感を得て、いつとはなく口から口へと歌いつがれ、伝承され、更に人々の往来とともに各地に拡がっていったものであろう。多くのものは、明治の末以来急速に衰えて消滅しようとしている。これは、村の生活様式が変わり、昔と今と村人の感覚が変わり、古い時代の歌を好まなくなったためでもあろう。このように時代の変遷により、民謡のうたわれる機会や場が少なくなった現在、古老にあっても、記憶を呼びおこせず、身延町に古くから伝わる民謡の採録は困難をきわめた。
 下山甚句のように、山梨県下にも知れ渡り、採譜され、新民謡「甲州盆唄」としてうたわれるようになったもの、「河内甚句」・「おおやれな節」・「盆唄」など、比較的よく歌われたものをあげたが、これら郷土身延町の民謡は、それがこの町で純粋に発生したものか、他より流入したものかその発祥や成立の経緯、転化の状況は、民謡成立と伝承の本質から、明らかにすることはできない。
 しかし、いわゆる新民謡とよばれる歌は、身延山を控えている関係上、観光と結びついたもの「身延観光小唄」「身延山音頭」など、宗教と結びついたもの「身延山賛歌」「ああ日蓮」などその数は多い。
(一)身延の民謡
   下山甚句
○じつじつじつとなにが実 人中で(ソレ)
 恥をかかせたが実かえ(ドッコイ)
 恥をかかせたが実かえ
○わしや縁がなくて出て行くが 姑さん(ソレ)
 また来る嫁と仲よく(ドッコイ)
 (以下くりかえし)
○仲よくせよがせまいよが 出て行くに(ソレ)
 いらざるお世話こきやがる(ドッコイ)
○咲いたかききょう小紫 おじよものは(ソレ)
 咲けや日陰の朝顔(ドッコイ)
○出て新田を眺むれば おいろこが(ソレ)
 横鉢巻で畦(あぜ)塗り(ドッコイ)
○おいせきょとらば山がから 嫁とらば(ソレ)
 勝沼蚕場所から(ドッコイ)
○1度や2度は笹の露 笹の露(ソレ)
 たまれば落ちでかなわぬ(ドッコイ)
○孕(はら)んだとても殿がない 殿欲しや(ソレ)
 縄帯しめた殿でも(ドッコイ)
○お今年ゃよいら並び田で お互いに(ソレ)
 見やすら笹の間から(ドッコイ)
○下司下郎とは情ない 我が殿は(ソレ)
 奥州阿部の貞任(ドッコイ)
○富士浅間は女神 何故にまた(ソレ)
 女子を嫌いなさるか(ドッコイ)
○空舞う鳥が物言わば おいろこと(ソレ)
 お便りや日日ひにち毎日(ドッコイ)
○枕の下のきりぎりす 縁切れよ(ソレ)
 切れよと鳴くのにくさよ(ドッコイ)
○恋するすすきや此処にやない 富士山の(ソレ)
 裾野にただひともと(ドッコイ)
○下山焼けた2度焼けた 3度目にや(ソレ)
 役場も焼けて気の毒(ドッコイ)
   河内甚句(抄)
 富士川舟がブクダケタ ソレ 身延山コラ
 焼けたもしょうげさいなんドッコイ
 焼けたもしょうげさいなん
   盆踊り唄
○盆が来たそで お寺の庭で
 きりこ灯籠の灯がみえる ソウダソウダ
○盆にやおいでよ 他国にいても
 死んだ仏も盆にや来る ソウダソウダ
○盆の16日 お寺の施餓鬼
 蝉が経読む本の上 ソウダソウダ
○大工出てみろ 下山焼ける
 いかじゃなるまい 小屋がけに ソウダソウダ
   おおやれな節
○おおやれな 相々傘に袖と袖
 ふり返る時雨は恋の仲だち
○おおやれな とうの木までは連れもある
 女の身で越されよか三坂3里を
○おおやれな 実気の女だ初花は
 勝五郎車に乗せて箱根へ
○おおやれな きりょうよい女の化粧
 青空に夕虹ふいた如くよ
○おおやれな 市川文殊智恵文殊
 女に針男にや硯すみ筆
○おおやれな 表ぢや太鼓裏じや三味
 仲の間じや忠臣蔵の5段目
○おおやれな 空舞う鳥に文もたせ
 しかともて落すな空舞う鳥
○おおやれな 1年中にただ1度
 色男(いろご)さん七夕(たなばた)流儀なさるか
   下山の木やり唄
 下山では家屋新築に際し、その建て前には昔ながらの儀式が守られているということは、さすが大工の村ならではの感がある。
 上棟式には、むねの一部を残しておいて、式の初めに、その材を巻き上げるのであるが、その木遣(きやり)うたに
  えしい えしい えーしんやらや
  1度は綱しめ えーしんやらや
 めでた めでたの えーしんやらや
と材をまき上げ、むねにおさめて
 せんざいと(千歳棟)
 まんざいと(万歳棟)
 えいえいと(永栄棟)
 と唱えながら、おのおのかけや三つ打ってむね上げを終わり、神事に続いて謡曲の「花咲かば、告げんといいし山里の使いは来たり、馬に鞍(くら)馬の山の初桜、手折りをしるべにて、奥もまよわず、咲き続く、木影になみいて、いざいざ、花を咲かせん。」と歌い終って祝宴になるという。
 下山甚句にも、「よく出た御岳神楽殿下山のソレ大工さんと江戸のしやりきで」と、大工をめぐる芸能は、今でも下山の人たちの生活の中に、とけこんでいるようである。「甲斐路」