第九節 生活文化

 第一次世界大戦後、経済的貧困に見舞われた欧米では、自然に庶民の生活のなかから、衣・食・住の合理化を追求する傾向が生まれた。わが国では、大正8年(1919)以降政府の手で「むだをせぬ会」「国民節約会」などの組織化が企てられ、大正10年(1921)から13年(1924)にかけて消費節約の宣伝がなされた。
 第二次世界大戦後物資の欠乏に伴い、生活の合理化の気風がつくられた。政府は「合理的民主的な生活慣習の確立」を国民によびかけ、農林省内に生活改善課を設けるなど、生活向上の指導にあたった。昭和22年片山内閣が「新日本建設国民運動」を提唱して、戦後の混乱と窮乏のなかから、この危機突破のために国民の奮起を呼びかけたことにはじまる「新生活運動」は、全国各地に強い影響をおよぼした。昭和26年ごろから農山村の婦人、青年層に「自分たちの生活をよくしよう」「村や町を再建しよう」「民主化と合理化をおしすすめよう」と、新生活運動とよばれる各種の運動が展開されるようになった。
 山梨県では昭和28年10月に「山梨県生活をよくする会」が結成された。29年には、文部大臣の社会教育審議会に対する「新生活運動に関する諮問」およびその答申がなされ、翌30年鳩山内閣の提唱によって、新生活運動協会が中央に設立された。昭和37年6月8日「山梨県生活をよくする会」は発展的に解消し、同月「山梨県新生活運動推進協議会」が設立された。これも40年11月に「山梨県新生活運動協会」と改称され、現在にいたっている。
 旧身延町の生活合理化運動も、相当古くから叫ばれてきたと思われるが、記録として残されているものには昭和16年(1941)1月町役場で発刊した「町民生活様式革新実行規約」別掲がある。敬神崇祖・年賀・祭典・婚礼・儀礼章の制定・出産節句祝その他・兵事に関する事・葬儀仏事等の項目にわけて国民生活様式の確立と普及徹底を期している。
   身延町民生活様式革新実行規約
     趣旨
 断乎永年ノ虚栄的、形式的陋習ヲ排シ我国独特ノ家族制度ノ美風ト礼儀ヲ失セザル限リ冗費節約ノ徹底的手段ヲ講ジ以テ時弊ヲ一掃シ国民生活様式ノ確立ヲナシ其ノ普及徹底ヲ期ス
     敬神崇祖
一、神棚ニハ伊勢ノ大麻ヲ奉斎スルコト
二、神棚、仏壇ハ常ニ清掃シテ礼拝ヲ怠ラザルコト
     年賀
一、年始ノ礼ハ各神社ニ参拝シ互ニ年頭挨拶ヲナシ廻礼ハ廃止スルコト
二、年末年始ノ贈答品ヲ廃止スルコト
     祭典
一、祭事ハ敬神崇祖ノ美風ヲ盛ンニシ建国ノ精神ヲ諒得セシメ、神社ヲシテ崇敬ノ中枢タラシムルハ思想善導上極メテ意義深キコトナレバ之レカ普及ニ留意スルコト
二、大祭日及郷村社例祭ニハ必ズ国旗ヲ掲揚スルコト
     婚礼革新要目
一、見合ハ出来得ル限リ当家又ハ媒酌人ノ家庭ニ於テ為スコト
二、結納ハ儀礼ニ止メルコト、指輪、袴、帯、小袖等ハ全廃シ、友白髪、鰹節、鯣、塩物、末広、熨斗、昆布等ノ内一種又ハ数種ヲ取リ合セ適当ニ一臺ニシテ贈ルコト
三、挙式ハ神社、家庭又ハ公共ノ場所ヲ主トシ、簡素且厳粛ニ行ヒ、参列スルモノハ近親者ノ外向三軒両隣家、組合ヲ招待スル場合ハ一戸一人トス
四、式服ハ団服又ハ制服ヲ利用シ得ル場合ハ必ズ之ヲ用ヒ、然ラザル場合ニモ簡素ナル一着ニ限リ(花嫁ハ留袖以下トナシ、花婿ハ成ルベク平服ニ儀礼章)振袖裲襠(ウチカケ)等ヲ全廃シ且ツ式後ノ色直シノ弊風ヲ除去スルコト、参列者モ之ニ準ジ簡素ニスルコト
五、調度品ハ当座ノ必要品ニ止メ新調ヲ廃シ、式服ハ平常服トシ儀礼章ヲ用ヒ餘裕アル場合ハ貯金又ハ国債ニテ持参セシムルコト
六、披露宴ハ小範囲トスルコト
最モ簡素ヲ旨トシ料理ノ程度ハ一人当リ酒一本、吸物二個、肴三品以内、摘一皿トシ、引出物類ハ全廃ノコト
七、村廻リノ礼ヲ廃シ新郎新婦ノ招待ヲ廃スルコト
     儀礼章ノ制定
一、冠婚ノ際ハ紅白色布ヲ蝶形トシ左胸部ニ付スルコト
二、葬儀ノ際ハ黒白色布ヲ蝶形トシ左胸部ニ付スルコト
     出産節句祝其ノ他革新要目
一、出産時ハ申合セテ必ズ同日時ニ当家ニ行キ祝意ヲ表スルコト
二、御祝ノ贈呈ハ長男長女ノミニ限リ総テ現金ニテ祝意ヲ表シ、出来得ル限リ該出生児ノ為メ紀念貯金ヲナスコト
三、宮詣リ七五三元服祝等ノ為メ晴着ノ新調ハ見合セルコト
四、七夜、初節句、誕生祝ハ成ルベク簡素ニシ内祝ノ程度ニ止メ親子間ノ外招待ハ断然廃止スルコト
五、上巳端午ノ節句祝ハ長男長女ニ止メ、総テ現金ニテ贈呈祝意ヲ表スルコト
六、出産児ノ届出ハ必ズ十四日以内ニ手続ヲナスコト
七、喜寿、米寿等ノ祝ハ精神ヲ主トシ内祝ノ程度ニ止ムルコト
八、個人間ノ贈答ハ中元、歳暮、年玉、手土産等ノ形式的ナモノハ全廃スルコト(但シ寺院ヘノ附ケ届ケハ此ノ限リニアラズ)
九、厄日待、厄払ハ神前ニテ行ヒ、祝品ノ贈呈、祝酒ノ饗応ハ絶対ニ廃止スルコト、又祝品等ヲ贈ラル、コトアルモ之レヲ受ケザルコト
十、病気見舞ハ全部現金トナシ、物品ノ見舞ハナサザルコト(但シ見舞ヲ為ス場合ハ予メ隣保組合長ノ承認ヲ受クルモノトス)
十一、病気全快ニ際シ快気日待ヲ廃止スルコト
十二、唐傘、風呂敷、下駄、提灯等ヲ一時借受ケタル場合ハ毎月第一ノ日曜日ニ必ズ返却スルコト
     兵事ニ関スル要項
一、壮丁検査ノ祝詞ヲ述ブル為メニハ合格者ノ家庭ニ止メルコト
二、入営者ノ神前報告式ハ其年度最初入営スル者ノ出発前ニ行ヒ、退営者ノ神前奉告式ハ各年度最終ノ退営者ノ帰郷ヲ待チテ施行スルモノトス、但シ出征軍人ニ関シテハ此ノ限リニアラズ
三、出征及入営者ノ送別ノ宴ハ茶話会ニテ行フコト
四、入退営ニ際シテノ饗応ハ全廃シ、退営者ノ土産物ハ絶対ニ廃止スルコト
     葬儀仏事革新要目
一、死亡通知ハ親戚又ハ故人ト親交アリシ範囲ノコト
二、通夜ノ酒食ハ廃シ、茶菓ニ止メ時間ハ十時限リトス
三、喪服ハ団服、制服又ハ平服ニ儀礼章ヲ佩用シ新調ハ見合スコト、参列者ノ服装ハ礼ニ失セザル程度ノコト
四、葬儀ノ予算ニ付テハ部落内役員ト協議ヲ遂ゲ適当ニ決定スルコト
五、花輪其他ノ供物ハ簡単ノ活花ニ止メ、香料ハ成ルベク小額トシ、御悔ハ現金ヲ以テナスコト
六、出棺時刻ハ厳守励行スルコト
七、一般会葬者ニ酒食ヲ供セザルコト(但シ遠来ノ会葬者ニ限リ食事ヲ供スルコト)
八、初七日忌ハ葬式ノ当日ニ成ルベク行フコト
九、香奠返シ及返礼状ハ全廃スルコト
十、子供ノ葬儀ニ付テハ親戚組合ノ外会葬セザルコト
十一、法要ハ厳粛ニ行ヒ葬儀ニ準ジ簡素ヲ旨トシ縁故者ニテ墓参ヲ為スコト
 以上細目ヲ実践躬行シ、国策遂行ニ協力シ、職域奉公、公益優先以テ高度国防国家体制ノ完成ヲ期セントナス
  昭和十六年一月              身延町
 第二次世界大戦後「新生活運動」の提唱に呼応して、身延町内の各部落にも「新生活改善グループ」がそれぞれ誕生した。
 昭和42年より身延町連合婦人会では「新生活運動推進」を提唱し、各家庭にポスターを配布するなど、その普及に努めている。
    決議書
 ここに、昭和四十二年度第十二回身延町連合婦人会の意義ある定期総会において決定しました「新生活の運動推進」の活動方針に基づいて、広く全家庭の協力と意識を高めるため、強力にこの運動を推進し、身延建設の資としたいと思います。
 現代社会の政治、経済、文化の驚異的躍進はかならずしも私たちの生活に満足をあたえているとはいいきれません。このためにも私たちはひとりひとりの生活がより豊かに、そして向上するために、会員相互の親睦をはかり、かつ民生安定運動の形態を整えつつ前進してまいりました。しかしややもすると多忙な生活におわれるままに、義理や人情に負け無駄な浪費に陥りやすいのが現状の生活であります。
 このときにあたり、地域の総合的生活改善の要求に併せ、これが、目的達成のため行政の指導と相まって、次の事項を申し合せとして定め完全実施を強く呼びかけて行くことを決議いたします。
    記
一、病気見舞返礼の撤廃
二、出産祝は男女を問わず長子のみとする
三、親送りより帰っての振舞の全廃
  昭和四十二年四月二十一日
 身延町連合婦人会第十二回定期総会