第二章 町の将来と開発の方向

第一節 交通条件の将来

 身延町は、外部の発展がもたらす波及効果によって大方他律的に進展してきたと考えられるが、これは、たとえば身延線の開通によって、かつての近代化が進められたと考えられているように、交通条件の改善に負うところがきわめて大きいともいえる。しかも、この辺の事情は、本町のおかれた地理的条件からして、恐らく今後とも変らないであろう。したがって、本町が将来大きく発展を遂げるためには、県都甲府へはもちろんのこと、経済的に密接な関係にある東海道メガロポリスや首都圏への所要時間を大幅に短縮することが、最大の要件であるといってよいであろう。
 それには当然自然、道路条件の改善が必要であるが、この点についての将来の見通しはきわめて明るく、国道52号線をはじめ、身延・下部・本栖線、万沢・芝川・富士宮線、身延・梅ヶ島線、身延・十島・芝川線等は、いずれも今後2−3年から5−6年の間に改良整備が行なわれるであろう。その場合、たとえば本町と東京との間は、現在の道路事情の下における身延と大月間位の時間距離に短縮されて、本町は名実共に首都圏の一環としての地位を獲得することになろう。また遠大な構想の下に、本町をはじめ関係市町村が協力してその実現に努力している清水・甲府間高速自動車道路も、昭和60年までには完成またはおそくとも着工できるものと予想され、単なる夢の道路でないことが十分期待できる。なおこれが実現したときには、甲府はいうまでもなく、清水をはじめ静岡市までも本町内に位置するのと同様な近距離となって、あらゆる点で、その影響は計り知れないものがあるであろう。
 つぎに町道についてみると、昭和47、48年までには全(すべ)ての部落に自動車の乗り入れが可能となって、その舗装率も現在の1.4パーセントから10年後には一躍60、70パーセントとなり、さら昭和60年頃までにはほとんど100パーセントになろう。また、市川大門・下部・身延線、いわゆる西八代縦貫道路と裏参道の両県道も、同じく昭和47、48年までには開通整備されて、町内循環バスが運行するようになるであろう。
 この外に、早急に拡幅等の整備が必要なものとして、昭和通り、大城線、清子線等や、波木井塩沢バイパスの建設があるが、これらも両3年の間には整備が完了し、清子線はバスの乗り入れも可能となろう。なお、身延山、駅前両パーキングエリアの建設も急を要するが、いずれも1、2年の間に設置されるであろう。
 また、長期の構想として、梅平、下山、丸滝等のバイパスや、身延駅前通りの高架道路、清子・大島間の架橋、あるいは観光開発に関連した道路やパーキングエリア等の幾つかが考えられる。
 以上、道路事情の将来について大まかに述べたが、国の施策が、社会資本の充実を図る方向にあるところから、あるいはこの予想より早い時期に、それぞれ実現するのではないかということも十分考えられる。
 国鉄身延線については、現在工事中の富士−富士宮間の複線化と、近い将来における甲府・鰍沢口間の複線化は考えられるが、これ以外の区間は、需要の現況や沿線の自然的障害のはなはだしさからみて、複線化は早急には望めないであろう。むしろ当面は、スピードアップを図る観点から無人駅の廃止等が行なわれて、周辺住民の不便をきたす恐れの方が強く予想される。
 いずれにせよ、鉄道は低経費で大量・遠距離輸送には欠くことができない交通機関であり、とくに国鉄身延線は、本町にとっては、そのおかれた地理的自然的条件からしてきわめて重要な存在である。したがって、全面的改修が早急に望めないとすれば、まず産業(観光)開発等による需要の増大を図ることが先決であって、当面は、京浜地区への乗り入れ(巡回電車)の実現に努力すべきであろう。