第二節 産業の将来本町の産業について問われたとき、それを明快に口にできる者は恐らくだれ一人いないであろうと思われるほど、実は、本町には何一つめぼしい産業が立地していないのである。しかし、土地の利用状況等から判断すると、現在における本町の基盤産業は、それによって生活の総(すべ)てが支えられているいないは別として、やはり林業を含む農業ということになろう。 そこでここでは、農業の現状と将来についてまず考え、つぎに、他の産業、とくに工業の立地について考察してみることにしよう。 一、農業最初に現状についてみることにするが、これについては第6編第3章のなかで詳しく述べられているので、ここでは主として他との比較の上からその実態を分析してみることにしよう。後に掲げた表によって、まず耕地率の3.7パーセントをみると、それは世界でも低いといわれるわが国の11.7パーセントよりは8.0パーセント、また山国である山梨県の9.7パーセントよりなお6.0パーセントも低く、逆に、農家率は全国の22.7パーセントに対して53.1パーセントと高いため、1戸当りの平均耕地面積は当然小さく、全国平均79アールの約2.5分の1の33アールにしかすぎない。 農業の概況についての比較
このように零細規模の農業でありながら、総就業人口に対する農業就業人口の割合は31.2パーセントで、この点、先進国の平均20パーセントに近づいて注目されているわが国平均の22.8パーセントよりは8.4パーセント高くなっている。なお、この就業者の内容を国勢調査の数値でみると、老齢者や主婦、いわゆる三チャン就業者は全国的にふえる傾向にあるが、本町の場合はとくにその傾向が強い。したがって、労働力の質は一般に比べてかなり劣っていて、それが、就業者1人当り粗生産額の低さとなって表われているとみてよいであろう。すなわち、就業者1人当りの農業粗生産額15万円は、全国の27万8,000円よりはもちろんのこと、本県の26万6,000円、南巨摩郡下各町平均の18万円のいずれよりも低い額となっていて、本町における農業の低生産性をはっきりと示している。 以上が、他と比較してみた本町農業のあらましであるが、基本的には、経営規模の零細性と資本力の弱小故にとかくの問題をかかえているわが国農業のなかにあって、このようにより小規模の本町農業は、一体、将来どうなるであろうか。そこで、つぎにその将来について考えてみよう。 国民所得が現在のアメリカ水準に達するわが国将来の農業経営は、1農家当り水田では6−9ヘクタール、酪農搾乳牛では35頭、養鶏では6,000羽、果樹園では約4ヘクタール、養豚では600頭、施設園芸では40アール程度の規模が最低限必要とされ、また、現在の所得水準下でも2−3ヘクタールが必要とされている。この規模を基に本町の農業をみると、先きに検討した町の農業規模からして、この町には、現在ですらすでに独立した産業としての農業は存在していないといっても過言ではないであろう。 したがってこのような現状から、今後本町において農業が成り立つとすれば、養鶏・養豚等以外にはないといってよいであろう。しかし、この場合においては、従来の3反農業の経営観念を越えた多額な資金、少なくも数百万から1,000万円の資金と高度の技術が必要なことから、すべての農家にできるものではない。(将来の農業は、単なる農家によってではなく、企業家によって経営されるであろう、と言われるのはこのためであり、現に、1商事会社が東北のある県で数百万羽の養鶏を計画している。)もちろん、前述の規模よりはかなり小規模であっても専業農家としての経営は成り立つであろうが、それはあくまで他の産業部門との所得格差の上にのみ成り立つことであって、この点からすればやはり完全に自立した農業とは言い得ないであろう。また、かりに大規模な養鶏・養豚等の農家を育成するにしても、住宅が狭隘(あい)な町内のいたる所に点在していることを考慮しなければ、恐らく大きな公害問題を引き起すであろう。ここで、これまで考えてきたことを基にして本町農業の将来を展望すると、将来は、ごく限られた農家が集約的に営む高生産性農業と、大多数の農家によって営まれる、完全な副業としての農業へと極度に分化し、産業構造上の位置づけが後退の一途をたどるものと考えられる。 さて、このような予測がかりに誤りでないとしても、現在そこに耕地はあり、しかも、それがたとえ日曜百姓によってでも耕作されている限りは、なんらかの方法によって生産性の向上を図らなければならない。 しかし、その方法については多くの意見があって容易に結論を出しかねるのが実情である。したがって、ここではここなりに、一つの道を模索してみることにする。 一地域の農業を振興するには、特定作目の集約化・特産化を図ることが最大の前提条件とされているが、本町のごとき小規模経営の農業にとっては、このことは一層重要であろう。 言うまでもなく、全町的に特定作目を栽培すれば、たとえ個々には小規模であっても総体としては大きな生産量となって、必然的に市場性が生ずるからである。なおこのことについては、最近この地区の人々の間でともすれば見捨てられがちな小梅が、九州のある村において全村的規模で集約化され特産化された結果、高い市場性を獲得し、村の振興に大いに役立ったという好実例がある。 そこで、本町においては何を特定作目として選定するかであるが、これについても恐らく多くの意見があろう。しかし、これまで幾度か述べた小規模性と、実際の農業経営者(農業従事者)が主婦あるいは老齢者であるという現実を無視できないとすれば、考えられる作目の種類はおのずと限定されよう。そのなかから、本町の気候風土にもっとも適したしかも特産化の図り易いものを選ぶとすれば、一般的なものとしてはまず「南天」などが考えられてよい作目であろう。 つぎに、すでに特定農家によって特産化が進められている茶・椎茸・ワサビ等についても、より大規模なものへと発展を図るべきであり、また、山菜の作目化や淡水魚の大々的な養殖が真剣に考えられてよいであろう。 以上、本町の農業を振興するための一つの考えを述べたが、特産化を達成するには、作目のいずれであるを問わず、まずモデル地区を選定して、つぎにその中での先覚者的中核農家を育成し、その農家を核として一般への普及拡大を図る努力を、少なくとも数年続けなければならないであろう。それと同時に、集出荷機関、いわゆる流通機構の確立を図らなければならない。 なお、最後になったが、農道・用水路等生産基盤の整備、共同作業の推進、あるいは共同による機械化によって、労働力や生産費の節減を図らなければならないことはいうまでもない。 二、工業(製造業)本町の工業(製造業)を昭和42年の工業統計資料でみると、事業所数38、従業員数316人、製品出荷額6億8,500万円ときわめて小規模で、本町における工業開発の遅れを知ることができるが、これは、本町のおかれた地理的自然的条件からして当然のことであろう。とはいうものの、このままの状態で果してよいものであろうか。工業の開発は、地域経済の振興、ひいては地域住民の所得の向上にとって最も効果的な手段であるといわれているが、このことは、工業生産の水準が高い地域ほど、一般に、地域住民の所得が高いという統計数値の上にはっきりと表われている。また、わが国の経済高度成長が、主として工業の発達によってもたらされたものであることからも、このことの事実であることを知ることができる。 このように、工業の開発が経済成長に果す役割のきわめて大きいことを知るとき、本町の工業水準を現状のまま放置しておいてよいはずはなく、むしろ、その開発を真剣に考えなければならないであろう。そこで、いきおい工場誘致が課題となるが、果してこの町に企業が立地するであろうか。 工業は、立地するための幾つかの条件があり、なかでも経済合理性、いわゆる経済的に有利であるということが最大の条件であるといわれている。 これについて、本町の状態をみると、まず地理的条件であるが、最近、交通通信施設が進んだため、遠隔地の不利性は大方解消されて、本町も工場立地の可能圏に入ったとみてよいであろう。地価については、言うまでもなく既成工業地帯に比べてはるかに安価なため企業にとっては大きな魅力であろう。3つ目は工業用水であるが、これも事欠かないと思われる。つぎに悪条件については、工場敷地に必要な平坦地の狭隘(あい)さと、人的資源、とくに若い労働力の不足があげられ、また賃金についても、当町が、高賃金水準の富士・富士宮工業地帯の通勤圏内にあるため、企業が、これに経済的価値を求めることは恐らくできないであろう。 以上、ごく簡単に本町における立地条件の良否について述べたが、これらを総合していえることは、中小規模の企業であれば本町にも十分立地できるということである。(ここでいう中小規模というのは、中小企業ということではない。)したがって、工場誘致は自信をもって真剣に進めるべきであろう。 ところで、誘致する側にとって幸いなことは、先きに述べた、工業開発が地域経済の振興上きわめて有効な手段であるということを主たる理由に、国の施策が、工業を地方へ分散育成する方向にあることである。その上、より誘致に希望のもてることは、企業そのものが、国の施策の如何を問わず、既成工業地帯の地価の暴騰と人手不足から、地価が安く、また比較的労働人口の多い地方への進出を自ら企てる傾向にあることである。したがって、本町が経済振興を図る目的をもって工場を誘致することは、そう難しいことではないであろう。 とはいっても、誘致を真に成功したものとするには、そう容易でないこともまた十分考えておかなければならないであろう。なぜならば、企業が求める立地のための条件と、誘致の側が企業に求める条件とは一般に相反するからであって、その一致点をどこにするかは、はなはだ難しい問題だからである。かりに、安易な妥協を図れば、工場を必要とする側が往々にして譲歩するということになろうから、そのようにして立地をした企業は決して地域の振興にプラスにはならないであろう。 そこで本町としては、誘致のための基本的姿勢として少なくともつぎのことだけは守らなければならないであろう。 (1) 本町の発展にとっていかに役立つ工場であっても、それが公害をもたらすものであれば誘致はしない。
(2) 賃金水準が高い企業でなければならない。
本町が、高賃金水準の富士・富士宮工業地帯への通勤圏内にあることはすでに述べたが、町外就労者の80パーセントがこの方面の企業へ就労しているため、少なくともそれと同等の賃金水準でなければならない。
(3) 誘致工場の就業者数は、最終的には700人以上を目標とすべきである。
工場誘致を、本町振興のための一手段と考えるならば、町内の労働力を対象とすることはもとより、町外からの労働力の移入を積極的に考えたものでなければならないであろう。この意味から周辺各町の総労働人口を基礎に推計したのがこの700人という数であって、決して無根拠のものではない。
(4) 経営規模が大きく、経営の安定した企業の工場でなければならない。
立地した工場が、その企業にとって唯一の工場であるような中小企業では、社会通念上、労働者、特に若い労働者にとって魅力がないからである。
さて、以上のごとく、ここでは本町の工業のうち主として工場誘致について考えてみたが、その衝に当たるものの努力のいかんによっては、近い将来望みの工場が立地して、町経済の振興に、ひいては町民所得の向上に大いに役立つであろう。また、そうあるべく努力をしなければ、特に核になる産業を持たないこの町は、他の地域の急速な産業の進展に遅れをとって、一部で予測されているとおり、昭和50年頃から住民所得に再び大きな格差が生ずるであろう。なお、後になったが、工業団地としては、下山の上沢一帯と大河内の塩之沢・帯金間の平坦部の2ヵ所が考えられてよいであろう。 |