第三節 観光開発の方向本町における観光の概要については他の編で述べられているので、ここでは、将来の開発の方向について考えてみることにしよう。観光・レクリエーションは、私達にとって必ずしも必要のない、どちらかといえば無駄な行為であると考えられがちであるが、実はこれは、生産と消費、労働と余暇、休息と活動、緊張と弛緩(しかん)といったようなものと同様に、人間のリズムを構成する重要な要素であるとみるべきであろうが具体的には、人々は毎日の生活のバランスをとるため、つまり生活のリズムを維持するために、ある人は孤独のなかに、また賑々(にぎにぎ)しい娯楽センターのなかに、ある人は閉された屋内に、また屋外にと、それぞれレクリエーションを求めてゆくが、このように、日常おかれた環境と全く異った環境に接触したいという欲求は、おそらく、空腹時に食物を求める肉体的な要求であるとか、あるいは多方面の社会との交流を求める精神的な要求といったような、人間本来の欲求と同じものであるといってよいであろう。言いかえれば、観光・レクリエーションは、環境の変化を常に求めて止まない人間の一面の表われとみるべきであろう。 したがって、観光・レクリエーションの目的を達する最も効果的な方法は、変化つまり「環境を変えること」であるといえるが、人間のおかれている環境はもとより、人間の性格は人それぞれによって大きな差異があるところから、その求めるものと、そしてその活動の形式は当然多種多様である。 さて、観光・レクリエーションの本来的な意義を以上のごとく解釈するとき、本町におけるこれまでの観光(施策)は、単一的で、しかもあまりにも専用的なものに捉われすぎていたと反省しなければならないであろう。 かりに、従来のままの形を押し進めるとすれば、すでにわが国の経済社会の動向のなかでみた、国民所得の向上と自由時間の増大によってもたらされる、より広範な国民大衆の観光需要に応えることは不可能となり、ひいては地域開発の手段としての観光開発の意義は失われるものと思われる。 したがって、今後における観光開発の方向は、既成のものを中心としたその周辺に、本町唯一の資源である自然そのものを背景とした、近代的でしかも健全な大衆観光の場を築くことにおかなければならないであろう。 具体的には、まずその主軸として温泉開発が考えられるが、これについては、現在、大城渓谷で試掘が進められている温泉源がきわめて有望であろう。これが成功すると、「身延」というネームバリューからして、この渓谷一体が一大温泉郷になることもそう遠い将来の夢ではないであろう。 また、量はきわめてわずかであるが、町内いたる所に湧出している鉱泉の利用も大いに考えられてよいであろう。なお、この鉱泉のうちの1、2はすでに利用されているが、利用者の多くが老人層であるところから、観光開発という面からはもちろんのこと、老人福祉のための活用ということも十分考えてよいであろう。 つぎに民宿であるが、現在の民宿が対象としている主として若い年齢層とは別の層、たとえば、純粋な都会人の家族ぐるみを対象とした民宿や、また簡易貸別荘等が研究開発されてよいであろう。 その他、渓谷を利用した釣堀、ハイキングコースの開発整備等幾多のことがあげられるが、それは省略して、最後に長期構想として2、3をあげると、雨乞の滝から白糸の滝へのトンネルの掘さく、安倍峠・八紘嶺・七面山・雨畑、椿草里−井之頭(富士宮市)両スカイラインの開発が考えられてよいであろう。なお、椿草里−井之頭線は、観光道路としてはもとより、首都への最短道路として、経済効果もきわめて大きいことが考えられる。 以上、簡略ではあるが、観光開発の方向について一つの考えを述べてみた。いずれにせよ、国民所得の向上と自由時間の増大、それに道路事情の改善とを背景としたモータリゼーションの進展によって、将来、本町を通過する人口が爆発的に増加することは想像に難くないが、これを、本町振興の一要素として利用する道は、観光開発以外にはないであろう。 |