身延子供会の思い出

梅平 佐野正
 身延子供会は、大正12、13年ころ設立されたようである。
 私は昭和4年4月身延小学校へ入学すると身延子供会の会員になって、お経本をいただいた。会員は、身延尋常高等小学校と身延実科高等女学校の全校児童生徒(700人)で、会長は祖山学院の教頭先生であった。
 その頃は、土曜日になると祖山学院の先生や学生が学校へ来て、各学級ごとに子供会を開き、お話をしたりお経を教えてくれた。お話は、仏教典のなかからとった童話や身延山とお祖師さまのことであったが、慈悲の心を説いた話や郷土のお話は、子供心にも楽しく、毎週の土曜日が待遠しいものであった。
 学校では、身延山のお会式をはじめご本山の諸行事には、先生が全校児童生徒を引率して身延山に参拝した。全員が日の丸と、井桁(いげた)に橘(たちばな)(日蓮聖人の紋章)の小旗を振りながら、宗旗の立ち並ぶ身延の街中を行進して、久遠寺まで登山した。祖師堂前に整列してお題目を唱え、宗歌(立ち渡る身のうき雲もはれぬべしたえぬ御法の鷲の山風)を歌って礼拝し、総務さんと校長先生のお話を聞いてから、紅白の紋章入りのらくがんのお菓子をいただいて下山した。らくがんを大切に持って帰ると家の人達は「お仏供(ぶつく)」だと言って有難がり、みんなで分けていただいたものである。
 子供会の総会は久遠寺で開かれた。祖師堂前へ全校児童生徒が集合し、お題目を唱え、宗歌を歌い、会員の代表が祭文を奏上して式を閉じたあと、大客殿で児童劇や歌舞などを奉納し、お土産をいただいて名残りおしく山を降りたものである。
 身延小学校の秋の遠足は、毎年11月3日(明治節)恒例の運動会を終えた11日(小松原法難会の聖日)に、高学年生が低学年生をたすけながら、全校児童生徒が奥の院へ登山し、思親閣参拝を行なったものである。この頃になると身延の山は、紅葉が杉や檜の緑に映えてことのほか美しく、今でもその色、その形がくっきりと心に残っている。お別当さんの法話に涙を流したこと、山頂からの眺めがすばらしかったこと、そして「我らは仏の子供なり」と歌いながら登ったあの参道の1木1草までもなつかしく思い出されるのである。
 この子供会は、太平洋戦争のはじめまで続いたようであるが、いま全国に青少年育成運動の叫ばれているとき、身延子供会の復活を心から祈念するものである。そして、身延山を中心とする全国子供会が結成されることを期待したいのである。
    日蓮聖人御詠歌
  自らよこしまに降る雨あらじ
          風こそ夜の窓をうつらめ
  芦の葉のすがたは船に似たれども
          難波の人を得こそ渡さめ