鏡円坊の菊花のご紋章鏡円坊本堂の屋根棟に菊花のご紋章がさん然として輝やいているが、太平洋戦争の最中に、憲兵がやって来て、皇室のご紋章使用のかどでとがめられ、一時墨を塗っておいたことがある。この菊花のご紋章は、鏡円坊創立以来のもので、次の記録が鏡円坊に存している。 鏡円坊は、甲斐源氏の祖、新羅三郎義光公5代の孫、南部六郎実長公の館のあったところである。領主実長公は鎌倉幕府の評定衆の1人であり、まえから日蓮聖人に帰依され、文永11年(1274)5月17日、日蓮聖人身延ご入山に際しては全山を寄進し、一族をあげて法華経の弘宣流布に力を尽した大信者である。子孫の日長・日台(身延山5世)・日院(身延山6世)上人は身延山につくし、実継・長継・師行・政長・信政・政光公等は武将として、北畠顕家・新田義貞公とともに、後醍醐天皇・後村上天皇・長慶天皇を奉じて勤皇の大義に徹し、梅平を本として王事に奔走した。この縁によって長慶天皇の行幸、三種の神器の奉遷がこの地に行なわれたといわれている。 |