梅平の八幡さま

 梅平の八幡さん(福子八幡大菩薩)は、むかし八つの白幡を現わして源氏を擁護してから、八幡宮とあがめられている霊神である。
 清和天皇7代の裔、新羅三郎義光の3男刑部三郎義清の支流24家を甲斐源氏と称している。波木井公(南部六郎実長)は、甲斐源氏の一家で、ここに社を建て、産神(その人の生まれた土地を守る神さま)として八幡さんをあがめていた。
 文永11年(1274)5月、波木井公のご帰依をうけられ、身延へご入山された日蓮大聖人は、この八幡宮へ参拝して日頃の心願成就を祈念した。そのとき、しばらく暑さをしのいでいるうちに、旅のつかれでしばしまどろむと、顔かたちの美しい童子があらわれて、衣の袖にすがり、「旅のお坊さん、あの館は波木井公と申して、南部六郎実長公のご隠居所です。日も西へ傾いたので今宵の宿を借り給え。」とことば美しく申されると、大聖人は賢い子供かなと思っているうちに眼をさまされ、さては神の思召しかとまたお経を読誦して、波木井公の館へ入られた。
 波木井公は、大聖人を上座へお迎えしてご対面され、鎮守八幡宮の夢のお告げにより、大聖人ご入来の知らせがあったことを述べられると、大聖人はお互いに胸中符合するので、これはまことに珍らしいことであると、限りなくお喜びになられ、「貴殿の鎮守より我に福を授ける童子が現われてのことであるから、鎮守へ福子の2字を加え、福子八幡大菩薩とあがめるように」と申され、身延山の開きはじめ、末法広宣流布の基とされたのである。
 八幡さまの威光や霊験が広く世にひびき、遠近の老若男女の参拝があり、祈願満足し、不思議の利益をうけた人も少くないようで、1度参拝する者は、無始の罪障を消滅して、商売繁昌、子孫繁栄、福聚円満なること疑いないとされている。