榧(かや)の実上納
清子 沢田進
町内清子は古くから富士川沿いの村々のうち、静岡県の松野や富沢町の楮根(かぞね)とともに、農業の好適地といわれていた。したがって農産物も豊富であったが、中でも特産として有名だったものに大豆や榧の実があった。
富士川に船が通っていたころは、数百俵の大豆が年々静岡県下へ送り出された。また榧の実は身延みやげの名物として、全国的に知られていた榧飴(あめ)や、食油の原料として古来から珍重されていた。この特産榧の実が、昭和3年11月今上天皇ご即位式後の大嘗祭(だいじょうさい)の庭積机(にわずみつくえ)代物(しろもの)(お供えもの)の1台として上納されることとなった。
この命を受けたのは同区3,499番地の松木甲子であった。彼はこの下命を光栄として、一家をあげて奉仕し、また区民や青年団員の協力も得て、同年初秋見事な榧の実を採取し、10月29日山梨県庁を通じて1.8リットル(1升)を上納し大任を果たした。なお県下で榧の実のほかに5台が上納されている。当時私は豊岡青年団清子支部員として、種々協力した一員である。
  
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