その2 甘藷の増産
 大東亜戦争中銃後の務めの一つに、米麦をはじめ雑穀や、藷類の増産があった。特に甘藷は当地方の適作としてその増産がはかられた。私は昭和20年5月豊岡村の甘藷増産指導員(1村1名)に任命され、米3合を持参して、甲府まで出張し講習会に出席して、増産について改良された方法を習得して帰った。帰村後は各部落を巡回して実地の指導にあたった。改良された方法は丸山式といって、約1尺(33センチメートル)ほどの長つる苗を舟底にさす方法であった。
 同法によると成績の良いつるには、1本に17も藷がついて1坪(3.3平方メートル)あたり、約4貫(15キログラム)の収量をあげることができた。村内各戸では従来の方法から、丸山式に切り換えたので、例年より良い結果を得て、自家用に供したのみならず、供出にあたっては割り当て以上を完了することができた。
 なお私は指導の功績を認められて、農林大臣から賞状と賞品をいただいた。
賞状
渡辺義村
右者藷類増産ニ貢献セル所尠カラズ其ノ功績顕者ナリ仍テ茲ニ農林功績者表彰規程ニ依リ之ヲ表彰ス
 昭和21年1月13日
  農林大臣従三位勲三等 副島千八