その3 財団法人身延山病院 昭和21年6月15日身延山一乗病院開院式に当たり経過報告書を私は読み上げた。「昨年九月四日夕刻本山より電話をもって、明朝町長、助役、議長三名同道登山せよとの申越しがありさっそく明朝登山したところ、堀総務、望月会計より、この度の敗戦により海軍病院閉鎖の際は町において、病院経営の意志ありや否やというお話がありました。(中略)前身延山法主望月日謙上人は、この峡南地方ことに身延町の医療機関のまことに貧弱なことを大変心配せられておりました。」(以下略)と10頁にわたる長文のものであったが、おりにふれて読み返すごとに身のひきしまる思いがする。 中でもこの病院の設立資金として、身延山よりは莫大なお金の外に敷地一切を町に貸与され、町では基本財産から5万円を支出されたが、私が最も感銘するのは全町民1戸残らず進んで浄財を寄付されたことである。すなわち全町民を16級に分け、最高1,000円より最低15円まで総計金8万6,015円の寄付を心よくされたことである。筆者が就任していた助役の報酬は40円で、旧身延町の年間予算は約8万円、豊岡下山はそれぞれ4万円位であったことを想起すれば、いかに町民の熱意の結晶であるかがわかりただ頭のさがる思いである。病院誕生の思い出は数々あるが省略して、当時の協力者の芳名を記して往時を偲ぶことにする。
理事長 河井直一(町長)
理事 堀総務(久遠寺) 佐野徳造(前町長)病院長(未定) 副院長(未定) 望月善長(助役) 監事 望月一雄(久遠寺)佐野勇治郎(議長) |