編集を終わって

編集委員長 高野弥夫
 ある町会議員から町誌の編さん計画を聞いたのは、昭和42年の新年恒例の氏神子之神社での元旦であった。明治100年、「明治も遠くなりにけり」の感を深くした折であったせいか、時宜を得た企画だナと思いながら眺めた明けゆく七面山の姿が目に浮ぶ。
 6月8日身延高校にいた私は佐野室長の来訪をうけて−当時身延高校に勤務していた−町誌編集の要請をきかされたが、勤務中でもあるし、その器でないので固辞したが容れられず、7月1日より思わない町誌編集にたずさわることになった。
 それ以後学校を終わって編さん室への日がつづき、既刊の町誌を渉猟研究の上本町誌の編集内容を打ち出したのは10月末のことであった。
 翌43年4月より学校を辞して、専従することになって心新たに町誌編さんの意義とその困難さを痛感した。町誌編さんの目的その方針、経過については詳述してあるので省略して思い出すままに。

 資料収集については文献からはじめ、県立図書館長中沢武大先生をはじめ郷土資料室の方々の好意によりその資料を充分に活用させていただき、佐野室長、鴨狩公子さんとの連日の文献調査とその謄写は、炎暑にもかかわらず、あたかも獲物をもとめる猟犬と猟師といった有様で、鴨狩さんの努力は大変なもので頭がさがった。
 ついで町内資料の発掘にとりかかり下山地区からはじめた。これはと思われるものは借用または現地で謄写し、撮影して収集につとめたが、予期した資料が集らず町広報を通じてももとめたが、いざ部会活動に入ると資料不足を来たし、ここで部会で必要な資料は部会と併行して収集することとし、各部会は町内はもとより町外遠く県外まで足をのばすに及んだ。
 町内資料収集に当たってそれぞれの家、神社、仏閣、路傍にまで由緒ある貴重な資料が埋れているのに驚き、変貌してゆく郷土の再び得られない資料の湮滅を恐れ、何とかその保存修復を期したいものである。
 資料の最も豊富な下山地区は再度部会の合同調査研究を行なって古文書、什物を記録撮影をして横の連絡をとった。
 自然部会では、他部会と異なり、道なき道の草を分け、川を渡って数回にわたり町内くまなく行なったが、冷たいせせらぎの傍で、眺望のきく山頂で、涼しい木陰での憩を利用しての話し合いは忘られぬものの一つである。
 こうして各部会は原稿のあらましを10月に作成し、編集委員会によって横の連絡をとりながら検討の上、各部会とも原稿執筆にとりかかった。
 資料の収集、依田智文君の写真撮影は依然として続けられ、各委員本務を持っての執筆は筆の進むにつれて新たに必要資料が生じ、その収集執筆と昼夜を分かたぬ労苦は想像に余るものがあったので、原稿の〆切りを1カ月延ばし、定例編集委員会その他の会合をとりやめ、一意原稿の完成につとめて2月末一応原稿を〆切った。
 3月以降編集常任委員会において各部会と連絡をとりながら原稿の検討調整にかかり、6月はじめに浄書原稿の原紙切り、印刷を役場職員を挙げての絶大な協力により6月末には1部を残して一次原稿の作成を終了した。
 よりよい町誌にするため執筆者の補正、部外者の閲覧に供してご批正をいただくのに思わぬ日時を要したが、この補正批正をもとに最終原稿を常任委員会において調整を再度すすめたが夏から秋へとまたたくまに過ぎ、一部原稿の遅延のため作業が多岐にわたり、その処理に忙殺され、暮れゆく1日1日が恨めしく焦燥を感じながらも43年1月9日編集幹事、委員と一堂に会して発足以来編集委員会その他20数回、部会90余回を重ね、10月4日遅延原稿の一部を浄書回付へとこぎつけた。
 われわれの郷土が長い歴史の中で多くの人を育み、多くの人がその郷土をより豊かにするために流した血と汗の事績はいつの世にか誰かが後生に残す義務があり、また残すことに意義がある。
 この秋(とき)にあたって社会開発、文化の発達によって変容してゆく郷土を見つめた佐野為雄町長が町誌編さんを企図し、その遂行にあたって示された熱意と寛容に敬意を表するものである。
 編集委員29名、幹事57名が2カ年にわたって努力したが、限られた日時と紙数の関係上、手のとどかなかった点、割愛せねばならなかった原稿のあったことを残念に思っている。このことについては後日の補修に期待したい。
 終わりに秋山樹好先生、中村幸雄先生のご指導、県立図書館をはじめ幾多の公共機関と町内各位その他のよせられたご援助ご協力に対して心から感謝している。

村中のちまたにありて道祖神(さえのかみ)双体像は笑(え)みておはしき

並みよろふ山のなだりの粟倉に父祖の拓(ひら)きし跡を訪(たず)ねき

 −波木井妙善堰のほとりの田の中に鎌倉期とおぼしき五輪塔一基ありて−

風わたる青田に立ちて古き碑は法蓮華経の文字何も語らず

身延町誌
昭和45年1月15日印刷
昭和45年2月11日発行
(非売品)
編集者   身延町誌編集委員会
発行者   身延町長    佐野為雄
山梨県南巨摩郡身延町
印刷   株式会社    サンニチ印刷
甲府市北口二丁目
発行所   身延町役場
電話(05566)(2)1111(代)
郵便番号 409−25
(注)見返しの図は久遠寺蔵・身延山図経より