※この年表作成には「身延町誌」および「身延町誌資料編」に使用した文献および個人蔵の資料を使用しましたが、表中では個々の出典を省略してあります。
西暦 和暦 月日 事項 県・国内の主な事項 世界の主な事項
約1万2千年以前 旧石器時代 1万5千年前 富沢町天神堂遺跡(昭和45年発見) 富沢町切久保遺跡(昭和47年発見)   旧石器〜中石器時代
約1万2千年前〜BC3世紀ごろまで 縄文時代 縄文時代前・中期 中期は寺平(身延)、大久保(豊岡)、清子丸山(豊岡)、前期は桜井(大河内)から土器や石器などが発見されている 縄文時代中期は気候も安定し、集落が各地に成立する。 メソポタミア・エジプト文明 インダス文明 殷・周・春秋戦国 ギリシャ文明
県下で約2千箇所(曽根丘陵、八ツ岳山麓が多い)
BC3世紀ごろ〜AD3世紀後半ごろまで 弥生時代   峡南地方には弥生時代の遺跡は確認されていないが、平野遺跡(増穂町)、上野遺跡(三珠町)が発見されている。 弥生時代中期には集落が甲府盆地に展開する。 (中国)秦の始皇帝の中国統一 前漢 後漢 三国 ローマ帝政 (朝鮮)三韓
金の尾遺跡(敷島町) 登呂遺跡 稲作の普及 邪馬台国
3世紀後半〜7世紀ごろまで 古墳時代   増穂町に後期古墳が見られるほかには峡南地方には遺跡は発見されていない 銚子塚古墳(曽根丘陵) 鉄器の普及 畿内政権の成立 (中国)晋・宋・魏・斉・梁・隋・唐(618〜) (朝鮮)三国 高句麗・百済・新羅
7世紀〜12世紀まで 奈良時代   富士川西岸は巨麻郡に、東岸は八代郡に属し、『和名抄』[承平年間(931〜938)]の両郡の川合郷に比定される  大化改新(645) イスラム暦元年(622)
壬申の乱(672)に「甲斐の勇者」参戦
国守田辺史広足が神馬を献上(731)
甲斐国分寺(741)ごろ?
平安時代 平安遷都(794)
富士山大噴火(864)
源頼信が甲斐守に任ぜられる(1028) 宋(960〜)
神聖ローマ帝国成立(962)
前9年の役(1051〜1062)  
後3年の役(1083〜1087)
武田義清、清光父子が甲斐に配流される(1130) 十字軍(1096〜)
保元の乱(1156)
平治の乱(1159)
1176 安元2年 10月11日 『玉葉』のこの日の条に「施薬院領飯野牧」の荘名が見える 大野はその遺名といわれる 波木井は牧の中の郷名  
1189 文治5年 7月 加賀美遠光の3男で南部郷を領していた光行が頼朝の奥州征討に従い戦功を挙げる 富士川の合戦(1180)
平家滅亡(1185)
1191 建久2年 12月 光行、陸奥糖部郡に入り、奥州南部氏の基を開くと伝える  
1195 建久6年 5月 南部光行、頼朝の上洛に供をする 頼朝、鎌倉幕府をひらく(1192) チンギスハン即位(1206)
1221 承久3年 6月 承久の乱に南部氏も幕府軍に参陣する 承久の乱(1221)  
1222 貞応元年 2月16日 日蓮聖人、安房小湊に誕生 波木井実長誕生    
1231 寛喜3年 1月 下山光重の鎌倉邸が失火で焼失する    
1238 暦仁元年 2月 将軍頼経上洛、南部実光、実長も随兵する    
1253 建長5年 4月28日 日蓮聖人、日蓮宗を立教開宗    
1260 文応元年 7月16日 日蓮聖人、「立正安国論」を幕府に提出   フビライ即位(1260) 英国議会制(1265〜)
1271 文永8年 10月10日 日蓮聖人、佐渡に流罪となる   元帝国(1271〜)
1274 文永11年 2月14日 日蓮聖人、佐渡流罪を赦免される 5月12日鎌倉を出て身延山に入山、6月17日西谷草庵へ(身延山開闢) 文永の役(1274)  
1281 弘安4年 11月25日 西谷に10間4面の久遠寺大坊が落慶 弘安の役(1281)  
1282 弘安5年 10月13日 日蓮聖人、武蔵の池上で入寂(61歳) 恵林寺創建(1330)
鎌倉幕府滅亡(1333)
建武中興(1334)
南北朝(1336〜1392)
室町幕府成立(1336)
オスマントルコ(1299)
1393 明徳4年   南部政光、陸奥八戸に移る   百年戦争(1339〜1453)
元滅亡(1368)
明(1368〜)
李氏朝鮮(1392)
1418 応永25年   武田信玄が河内に入部、穴山信介これを援助する    
1475 文明7年   第11代日朝上人、西谷から現在地に諸堂を移転 応仁の乱(1467〜) コロンブス、アメリカ大陸到達(1492)
1506 永正3年   穴山信友誕生    
1521 大永元年 9月6日 今川の将福島正成が甲斐に侵攻、武田信虎勢と大島で合戦 武田信虎、甲府に国府を置く(1519) ルターの宗教改革(1517)
1531 享禄4年 3月12日 穴山信懸没し、信友が家督を継ぐ 武田信玄甲斐国主となる 天文10年(1541) コペルニクス地動説(1543)
1556 弘治2年   身延山14世日鏡上人、西谷に善学院を創立    
1558 永禄元年   穴山信君、家督を継ぐ 桶狭間の戦(1560)  
1561 永禄4年 9月 帯金刑部、川中島で戦死 川中島合戦(1561)  
1566 永禄9年   穴山信君、下山に南松院を創立    
1568 永禄11年 11月 武田信玄、駿河に出兵する    
1572 元亀3年 12月22日 穴山信君、信玄に属して三方ケ原に家康を破る 武田信玄死す(1573)
室町幕府滅亡(1573)
 
1575 天正3年 6月3日 穴山信君、江尻城代を兼ねる 長篠合戦(1575)  
1577 天正5年 4月4日 安房勝浦城でお万の方誕生(正木頼忠の娘)    
1582 天正10年 2月2日 穴山信君、塩沢郷を久遠寺に寄進 武田家滅亡(1582)  
    6月2日 本能寺の変、信君は山城国田原で討たれる 本能寺の変(1582)  
1583 天正11年 9月 穴山梅雪の養女下山殿が家康の5男信吉を生む    
1587 天正15年   穴山梅雪の子勝千代、16歳で下山に死す 下山は家康の臣菅沼藤蔵定政の支配となる 秀吉の天下統一(1590)
秀吉の朝鮮出兵(1592〜1598)
英・スペイン無敵艦隊を破る(1588)
1593 文禄2年 10月 お万の方、徳川家康の側室に召し出される    
1599 慶長4年   徳川家康、身延町中に定書を下す    
1600 慶長5年     関ケ原合戦(1600) 英・東インド会社設立(1600)
1601 慶長6年   甲斐国総検地 穴山領9千石余打出し 徳川家康領主となる(城代平岩新吉)(1601)  
1603 慶長8年 9月12日 家康の5男武田信吉(穴山梅雪の養女秋山夫人の子で幼名万千代)死し、穴山氏断絶 徳川幕府成立(1603) 徳川五郎太丸領主に(城代平岩親吉)(1603)  
1604 慶長9年 7月 身延山第22世日遠上人、身延山掟。町中掟を定める 角倉了以、富士川の水路を開く(1607〜1612)  
1608 慶長13年 5月21日 日遠上人、慶長法難で身延山を退隠、本遠寺を開基 豊臣氏滅亡(1615) ロマノフ王朝(1613)
30年戦争(1618〜)
徳川忠長領主に(1618) ガリレオ宗教裁判(1633)
1646 正保3年 10月13日 幕府、大野山本遠寺に梅平・大野など寺領270石を寄進する 島原の乱(1637)  
鎖国令(1639)
1666 寛文6年 11月 寺院坊舎ヘ女人禁制の定め 徳川綱重領主に(1651)
甲府大火(1660)
清、中国全土を統一(1662)
1669 寛文9年   西河内領の検地開始(寛文検地)    
1670 寛文10年 3月 椿草里・大垈山から黒沢河岸へ舟26艘分の船材を伐出す 寛文検地(1672)  
1673 延宝元年   本遠寺日寛上人により大野渠が開削される    
1677 延宝5年   粟倉・下山・相又・横根各村の見取り検地実施 徳川綱豊領主に(1678)
延宝検地(1678)
 
1688 貞享5年   粟倉・下山・波木井・小田船原・大城・相又・横根中の除地検地 生類憐れみの令(1687) 英国名誉革命(1688)
1695 元禄8年 8月 山口素堂が身延山に参詣 赤穂義士討入り(1702)  
1704 宝永元年   この頃から下山大工の抗争(天明年間まで続く) 柳沢吉保甲斐領主に(1704)  
1707 宝永4年 10月4日 宝永大地震で身延山富士川口土砂大崩壊、身延山内死者18人、諸堂破損 富士山宝永噴火(1707)  
1712 正徳2年   身延山に133余坊あり    
1721 享保6年 3月 門野・大城両村御用勤出入り 享保の改革(1716〜)  
1723 享保8年 6月 相又村上・下区で廻状持継出入り 柳沢氏大和郡山へ転封、以後直轄領となる(甲府勤番支配)(1724〜)  
1736 元文元年   支配所(市川)から検見の際の賄賂禁止の触れ 甲府大火(1727)  
1747 延享4年 7月7日 身延山内11ヶ坊を焼失    
1765 明和2年   市川に駿府の出張陣屋設立    
1776 安永5年 10月12日 身延七面山全焼   産業革命(1773〜)
米国独立宣言(1776)
1781 天明元年 11月 下山大工3郡棟梁権をめぐり駕篭訴 天明の大飢饉(1782〜)
上飯田代官所取払い(1787)
寛政の改革(1787〜)
 
1791 寛政3年 3月 本遠寺で日遠上人150遠忌   フランス革命(1789)
1801 享和元年   上八木沢村大火   神聖ローマ帝国解体(1806)
1808 文化5年 11月 横根中村、出作地の中野村と年貢割で出入り    
1810 文化7年 8月 年貢皆済期限繰上げ=年内納入となる    
1814 文化11年   河内領8ヶ村、楮・三つ又販売の件で駕篭訴 甲斐国志成立(1814)  
1823 文政6年   下山大工と甲府町方大工の抗争(文政9年まで)    
1824 文政7年 6月 在方125村大工、府中取り締まりに抵抗して駕篭訴    
1826 文政9年   大雨で早川出水    
1827 文政10年 1月 下山大工職業出入り内済    
1829 文政12年 9月6日 身延山五重塔から出火、28の堂塔、山内寺中、町内の大半を焼失    
1830 文政13年 3月 早川渡船の川越賃定まる    
1831 天保2年   無株の酒造業禁止となる    
1833 天保4年 9月 身延町内酒造高3分の2に減ぜられる 天保の大飢饉(1833〜)  
1834 天保5年   甲州米穀の他国、他領へ販売禁止    
1836 天保7年 2月26日 西條少将、身延山・大野山に参詣 天保郡内騒動(1836)  
1837 天保8年 9月 大雨富士川出水    
1838 天保9年 4月 東西河内領121村から鰍沢・黒沢番所通行制限緩和を巡検使に嘆願    
1838 天保9年 10月 門野・小田船原両村境出入内済    
1843 天保14年 10月 東西河内領38ヶ村、楮・三つ又値下げ反対を嘆願 天保改革(1841〜) アヘン戦争(1840〜)
1849 嘉永2年 9月 小田船原、相又村境議定    
1852 嘉永5年 7月 下山宿助郷村々より勤高は古高による旨確認書提出 ペリー来航(1853)  
1854 安政元年 11月4日 東海・東山地方に大地震(安政大地震) 身延山内も東谷を中心に大被害 日米和親条約締結(1854)  
1855 安政2年 1月 大風雨 門野村刈生畑崩壊 安政の大獄(1858)  
    8月 下山宿から助郷人足増員嘆願    
    8月25日 富士川出水 帯金村普請所被害    
1859 安政6年 3月 西川内領37ヶ村年貢金納を駕篭訴   ダーウィン進化論(1859)
1860 万延年間   身延山内に93坊あり 桜田門外の変(1860)