印刷湯之奥金山

山梨県南部の天子山地は毛無山から南北に連なって、静岡県との県境を成しており、約1500万年前の新第三紀の火山岩・泥岩に入り込んだ石英脈として金鉱石などが産出する。

身延町の湯之奥金山と富士宮市の富士(麓)金山は同じ鉱脈を東西から採掘した鉱山である。町内の下部エリアには雨河内川上流の常葉金山、栃代川上流の栃代金山、本栖湖南西の川尻金山などが知られている。
その毛無山の山腹にある中山金山・内山金山・茅小屋金山の3つの金山を「湯之奥金山」と総称する。高い山の金脈を追った金山衆の技術を示し、江戸期に盛んになる金・銀山の源となった戦国期の金山の姿を今に伝えている。

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湯之奥金山

中山金山[国指定史跡]

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毛無山(標高1964m)の長尾尾根の1400mから地蔵峠西側の金山沢を経て中山尾根の標高1650mにかけて500m四方の広さにまたがる。尾根から南斜面には、泥岩層にはさまる石英の金鉱を露頭掘りした採掘坑77箇所の採掘域がある。坑道は鉱脈を追ったひ押し掘りの間歩で、縦長で奥行3m~45mあり、江戸時代の採掘と思われる。金山沢周辺には石積みで半月形に平坦面を造成した124箇所が分布している。鉱山用挽き臼・磨り臼・搗き臼で鉱石を粉砕し、セリ板・フネを使って採金した磨り場やセリ場などのテラス、焼窯、金山衆らの建物跡、鉱石屑の捨て場とともに、鏨・斧・金鋏の鉱山用具・天目茶碗・茶壷などの陶磁器、銅銭・煙管・碁石が出土した。また「七人塚」と呼ばれるテラスなどに、明暦4年銘の 宝篋印塔、元禄3年銘の光背型石塔が立っており、中山村にいた金山衆らを供養したものである。
中山村は中山千軒といわれた湯之奥金山の中心の鉱山村であり、永禄11年(1568)に穴山信君が中山郷への物資流通を命令しているように、戦国時代15・16世紀には金山の操業は活発であった。そして江戸時代中期18世紀にかけて産金が続けられた。甲斐国屈指の金山跡であり、平成9年9月2日に国史跡に指定されている。

内山金山

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毛無山の西側の中腹入ノ沢に面した標高1350m付近にある。露天掘りの採鉱域と29箇所のテラスがある。採鉱域は山腹を大きくえぐった露天掘りの採掘坑が数箇所あり、細かいズリ(屑石)がその下に集積している。テラスは南向きの尾根筋に段状に作られたものと沢の水場に沿うテラスとがある。各テラスには鉱山用の石臼や陶磁器が発見されている。かつて日蓮宗の宝金山永久寺があったと伝えられる「寺屋敷」には3段の石積みで広いテラスが造成され、寛文年間(17世紀)の宝篋印塔が残されている。
また慶安年間(17世紀中期)までの200年にも及ぶ長大な間歩について記述していて、江戸時代前半に最盛期を迎えたらしい。この間歩の経営をめぐっては、内山のほか、中山の金掘りたちをも巻き込んだ論争さえ生じている。しかし盛期は続かず、貞享年間(17世紀後半)には、金掘りたちは山を下ったという。入ノ沢の奥深くにあるため旧道も土石流で荒廃し、地元でも内山金山は忘れ去られていた。
湯之奥型金挽臼が多く発見され、戦国時代の中国明製の染付皿なども出土している。その後平成21年に測量調査が実施され、多数の湯之奥型も確認された。採掘域や坑道も確認され、それらの成果は常設展示室にて公開されている。

茅小屋金山

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毛無山の西側の中腹、入ノ沢にそった標高850m付近にある。南西向きの沢筋に、石積みで半月型の段状に造成された28箇所のテラスが確認されている。山の神の石祠がある「宮屋敷」テラスなどには、承応3年(1654)大田八左衛門銘の板碑型石塔、万治3年(1660)の宝篋印塔、寛文6年(1666)の板碑型石塔をはじめ、石造物10点が立っている。鉱石を焼いたとされる石積みで方形に組まれた窯跡も発見されている。採鉱域は不明で発掘調査は行われていない。
江戸時代の古文書には、「茅小屋村」と見え、ここにも金掘りたちの村が営まれていた。しかし、中山・内山の両金山と同様、17世紀の後半には、金掘りたちは山を下り、村は廃絶した。

平成22年に内山金山に続いて茅小屋金山も測量調査がなされ、テラス図などが作成された。内山金山同様、多数の湯之奥型が確認されている。これまで採掘域は確認されていなかったが、最近の調査で露頭掘り跡が確認されている。詳細は現在調査中である。

板碑型石塔

茅小屋金山にはこうした石塔がいくつか残っている。

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戦国時代の金山

甲斐の国を本国とした武田氏は、信玄とその子勝頼の時代に支配領域を最も拡大し、それは信濃、駿河、上野、遠江、三河、美濃、飛騨、越中にまたがっていた。
それらの地には、武田氏との関わりを伝える金山が今でも多く存在している。
湯之奥金山(中山・内山・茅小屋)をはじめ南部町の十島金山、早川町の黒柱・保金山、甲州市の黒川・牛王院平・竜喰金山、大月市の金山金山、長野県の甲武信・金鶏金山、静岡県の富士(麓)金山・梅ヶ島・井川金山、愛知県の津具金山と、その他,常葉・栃代・川尻・雨畑・大城・安倍・黄金沢・鈴庫・丹波山・秋山金山・須玉・斑山・御座石・土肥・黄金山等がある。武田領最大時には領内におよそ30~50金山を保持していたことが確認されており、豊富な金の産金量を誇っていた。
それらのなかで、湯之奥金山と黒川金山は最も古い金山といわれており、湯之奥金山のうち中山金山の操業の始期は、黒川金山と共に16世紀初頭と推定されている。
金山そのものは武田家が戦国大名の地位を獲得する以前に操業されていたことになり、信玄公の時代にはすでに活況を呈していたものと思われる。 湯之奥金山が、山金を採取する初源的特徴を持つ金山であることは、出土品や採掘坑などから推測することができる。

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