いつかは、自然豊かで心の拠り所となる地方で過ごしてみたい。

いつかは、自然豊かで心の拠り所となる地方で過ごしてみたい。

櫻井康敏さん

駿州往還の要衝に当たり、かつては関所が置かれていた身延町古関は、江戸時代後期の遊行僧で「微笑仏」を各地に残した木喰上人の出生地としても知られています。そんな由緒ある地の古民家を購入し、横浜との「二居住生活」をしているのが櫻井康敏さんです。 横浜市で生まれ育った櫻井さんが田舎暮らしに憧れを抱いたのは小学校時代にさかのぼるそうです。「小さい頃、祖母の住む静岡を何度か訪れて、都会にはない魅力を感じ、『いつかは、自然豊かで心の拠り所となる地方で過ごしてみたい』という思いを持ち続けていました」と櫻井さん。2011年ごろからインターネットなどで物件を探し始め、たどりついたのが身延でした。


いつかは、自然豊かで心の拠り所となる地方で過ごしてみたい。

横浜と身延との「二居住生活」をする決め手となった一つが、古関地区の住民有志らでつくる「青垣倶楽部」との出合いでした。1998年に発足した同倶楽部は、『田舎暮らし』をテーマに、遊休農地を整備して農地を貸し出したり、空き家の仲介や情報を提供するなどして、地域を越えた交流を図っている団体です。初代代表の土橋さんも同倶楽部のホームページの中で「過疎化が進み空家が増え、使われなくなった農地が荒れ果てていく。(中略)自分達にできることはと考えたとき、地域の人、物そして都会にはない自然を感じてもらい、地域を越えた交流を図ることだと思った」と結成の経過について述べています。

「畑仕事はもちろん、地域コミュニティーの中に入り込んで、住民の一人として暮らしたい」という希望を持っていた櫻井さんは、同倶楽部の取り組みに感銘を受けたそうです。「私の知人の中にも都心を離れ、田舎暮らしをした人がいますが、『地域とのつながりがなかなかできない』という話を聞いていました。でも、この地域は違います。青垣倶楽部の方々は最初からとてもフレンドリーで、親しみやすい方々ばかり。私の理想の世界だったんです」。

現千円札や旧五千円札裏面に描かれたことで知られる本栖湖からの富士山の絶景にも心を揺さぶられたそうです。「横浜からも富士山は見えますが、夕日が沈む方角なんです。朝日が昇る富士山を眺められるのは、この地域ならでは。横浜では青少年指導員をしていたので、いつかこの景色を子どもたちに見せてあげたいという思いも、住む決め手になった一つでした」(櫻井さん)。同倶楽部や身延町役場の職員に空き家を紹介され、昨年6月に住居の購入契約を結びました。

購入した民家は、旧古関小・中学校近くにある木造2階建て。6畳間5部屋と8畳間2部屋、4畳半1部屋などがあり、広々としています。目下、櫻井さんは週末を中心に片道123㌔の道のりをかけて身延を訪れ、家の改修と借りた農地での畑仕事に勤しんでいます。「『百姓』という言い方が大好き。『百の姓』という文字が示す通り、お百姓さんは、農業ばかりでなく、いろんなことができる“スーパーマン”だと思っているので、家のリフォームも自分でしているんですよ」と櫻井さん。床や天上の張り替えには無垢材を使うなど、こだわりも随所に見られ、満天に輝く星空を眺められるデッキ作りも計画しているとのこと。また、自宅隣や国道300号線(本栖みち)沿い近くの畑では、ジャガイモ、サトイモ、アスパラ、タマネギ、ブロッコリー、エンドウ豆など多彩な農作物作りにチャレンジしています。

「私にとって、古関の家は(別荘のような)『セカンドハウス』ではなく、横浜の家と同様、大切な居住地なんです。ここには地域との交流がありますし『暮らしの延長線上』に成り立っているわけです」と櫻井さん。「家の改修が一段落したら、この地域をもっと歩き回ってみたいですね。地域の人にとって当たり前にあるものが、違う土地から来た人間が見れば『宝物』と感じるものがあるだろうし、それを地域の方にお伝えし、共有することが出来て、活性化のためのお役に僅かでも立てたら、幸いと思っています。」

移住者の声
「古関地区の方々はとてもフレンドリー。地域コミュニティーの中に入り込んで、住民の一人として暮らしています」と話す櫻井康敏さん

 

移住者の声
家の改修に励む

 

移住者の声
床や天上は自身で張り替えた

 

移住者の声
リフォームには無垢材を使うなどのこだわりも

 

移住者の声
国道300号線(本栖みち)沿い近くの畑では、さまざまな農作物作りにチャレンジ

 

移住者の声
購入した民家は、旧古関小・中学校近くにある木造2階建て

 

移住者の声